第十八話

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第十八話
五の線2 第十八話
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佐竹は古田との電話の後、そのままここへやってきた。

金沢駅は北陸新幹線の開業を間近に迎え、3年前と比べて随分と駅構内の様子が変わった。しかし駅一階の喫茶BONは何も変わらない。相変わらず店の調度品の類はどれもありふれたもので構成されている。馴染み客ばかりが利用するBONには変化は不要だ。しかし最近はどういった理由か分からないが、この金沢にも外国人観光客がよく訪れる。そのため変化を必要としないBONにおいても望むとも望まざるとも、それに対応することが必要となった。3年の月日を経てBONではThere is an English menuと手書きの貼り紙がされていた。

「お久しぶりですね。」

サファリハットを被り、カメラマンジャケットを身につけた古田が佐竹の前におもむろに座った彼は大きく息を吐くと帽子を脱ぎ、持っていたタオルで顔と首筋を拭いた。

そこにマスターの森がおしぼりと水を給仕した。

「あらどこかで見たことあるわね。」

「ああ昔来たことがあります。」

「そうでしょうね。あなたの事は覚えてるわ。」

「ははは。何でしょうか。ワシはあなたの印象に残るような事は何もしとりませんよ。」

「私、こう見えてもいい男の事はよく覚えてるのよ。」

「光栄ですな。」

古田は苦笑した。

「コーヒーでよかったわね。ちょっと待ってて。佐竹さんもお代わりでいいかしら。」

そう言うと森はカウンターの奥へ消えていった。

「偉い記憶力ですね。あのマスター。わしのオーダー覚えとったんですか。」

「古田さんが相当お気に入りなんですよ。どうですか?」

佐竹は森の方に向けてどうぞというジェスチャーをした。

「佐竹さんも冗談きついですな。ワシにはその気はありませんよ。」

二人は軽く笑った。

古田の出で立ちをしげしげと見て佐竹が言った。

「随分と雰囲気が変わるんですね。」

「ああ。警察辞めて今じゃ趣味のカメラばっかりですわ。腕は然程でもないんでせめて格好だけでもそれらしくしようと思ってね。」

「何を撮るんですか。」

「主には自然ですよ。あとはそこにいる動物とか昆虫。そいつらを追っかけとるとあっちゅう間に1日が終わってしまいますわ。」

古田はカメラバッグからカメラを取り出して最近おさえたカットを何点か佐竹に見せた。

「へー凄い。まるでプロじゃないですか。」

「いや、下手くそな部類ですよ。」

「いいセンスね。私も撮ってもらおうかしら。」

不意を突く森の給仕に古田は戸惑った。

「冗談よ冗談。久しぶりの再会。ゆっくりしてってね。」

そう言い残して森は再びカウンター奥へ引き下がった。森は自分の立ち位置をよくわきまえている。話をしたがっている人間にはとことん付き合うが、人払いをしたい人間には距離を保つ。それを長年の経験で瞬時に見極める術を持っているのである。

「ドットメディカルCIO、今川惟幾。こいつがどうしましたか。」

古田は単刀直入に切り出した。

「古田さん。ちょっと長くなりますがいいですか。」

「もちろん。」

佐竹は今朝ほど本多善昌から聞いたマルホン建設におけるドットメディカルの台頭の様子を古田に説明した。資本も情報も押さえつつあるドットメディカルの発言権は日に日に高まっている。今ではマルホン建設の買収まで計画していると。古田は3年前同様、佐竹の言葉の一言一句も逃さぬようメモを取った。

「で、その仕切り役が今川ってことですか。」

「はい。」

「うーん。しかし佐竹さん。言っちゃ悪いが一企業の内部闘争なんか日常茶飯事ですよ。かつてあなたが担当し、3年前の事件に深く関与しとった取引先っちゅうこともあって、その動向が気になるってのは分かりますが、あなたが知りたいのは実際のところ何なんでしょうか。」

「この今川って男の詳細を知りたいんです。」

「詳細と言うと?」

「実はウチもどうやら狙われているようなんです。」

「はぁ?」

佐竹は本店で起こった守衛殺害に関する捜査に立ち会っていた旨を古田に説明した。古田は佐竹の口からその様子を事細かに聞き出した。

「なるほど。おたくのシステムを実質管理しているのはドットメディカルのエンジニア。あいつらしかおたくの山県部長さんの情報を改竄できん。つまりあの会社はその気になれば社員の情報をいくらでも変えることができ、行内に物理的に侵入することすらできるというメッセージを暗に送っていると。」

「そうです。」

「だから元締であるドットメディカルの情報戦略事業部統括者の今川を知りたい。」

「はい。」

「残念ですがその線は薄いですよ。」

「と言うと?」

「ドットメディカルが仮にあなたの言うように、自分らの力を誇示するために今回の事件に加担したとしましょう。だがそれをする事であの会社は何の得があると言うのです。いつでもどうとでも金沢銀行の情報を弄れると脅すのような事をしたところで、金沢銀行がその力に恐怖を感じ、彼らの要求をそのまますんなりと受け入れるでしょうか。金沢銀行から警察に届けが出されればドットメディカルは実際に一度実力行使しとるんで、立派な脅迫罪の成立ですわ。しかも守衛殺しの片棒を担ぐようなことをして、殺人の共犯、業務妨害、電磁的記録の不正作出及び供用の罪。そうなれば一発であの会社はぱぁですわ。」

「そうですね…。」

「ちょっとその線は薄いんじゃないですかね。」

「でも現に、ウチの情報を書き換えることができるのはあの会社のエンジニアくらいしかいないんですよ。」

「もっと何か別の目的があるんじゃないですか。そもそも何故コロシなんかが起きないといけなかったのか。きっと犯人には別の目的があったはずです。」

古田はタバコを加えた。

「あなたも馬鹿じゃない。曲がりなりにも金沢銀行の中堅どころ。そんな子供みたいな推理をワシにぶつけて力量を測るみたいなことはせんといて下さい。」

古田は煙を吐き出してニヤリと笑った。

「まぁあなたの話を聞いとる限りでは、ドットメディカルのエンジニアぐらいしか情報を書き換える芸当はできんちゅうのが分かります。ほんなら普通ならそのエンジニア本人と責任者に事情を聴取せんといかんでしょう。」

「すいません。自分の考えが整理できていないんで、支離滅裂な話し方になりました。」

「と言うことはまだ続きが有るんですかね。」

はいと言って佐竹もタバコを吸いだした。

「何かの目的がないと人を殺すなんて事はしません。そこで記憶をたどったんですよ。そしたら警察からの捜査事項照会書が金曜の夜にファックスで届いていたのを思い出しました。」

「照会書?何の?」

「金沢西部支店のコンドウサトミ。」

「コンドウサトミ⁉︎」

走らせていたペンの動きが止まった。そして古田の顔色が変わった。

「どうしました?」

「いえ…続けてください。」

「このコンドウサトミを昨日調べたんですよ。すると興味深いことがありまして。」

「何です。」

「犯人が行内にいる時間帯に、顧客情報が抹消されていたんです。」

「何やって。」

「このオペレーションも社内システムに精通する人間しかできないんですよ。」

「誰ならできるんです?」

「ドットメディカルからの出向組か小松部長本人。」

顧客情報抹消の際には小松部長の承認カードをリーダーに通さないとそれができない事を佐竹は古田に説明した。

「しかしウチに侵入した藤堂という男の顔はどう見ても小松部長じゃない。承認カードを持っていない人間が顧客情報を抹消するとなるとハッキングという技術が必要です。ハッキングのスキルを持つのはドットメディカルからの人間以外にいません。」

古田は考えた。

「何かしらこの事件にドットメディカルの情報部隊が関わっているのは明白なんです。だからその責任者である今川惟幾の情報が欲しいんです。」

メモ帳を一旦閉じてコーヒーに口をつけ、咳払いをした古田は口を開いた。

「今川の情報を仕入れて何をされるんですか。」

「わかりません。ですが情報セキュリティの責任者は私です。私なりに最善を尽くして調べたいんです。」

「佐竹さん。それは警察に任せた方が良いですよ。」

「じゃあ私は問題が起こっているというのにぼーっとしているだけですか。」

古田はやれやれと言って頭を掻いた。

「佐竹さん。あなた3年前と変わっとらんですな。」

「はい?」

「自分が関わる問題が発生したら、誰彼の意見も聞かず突進。」

佐竹は憮然とした表情となった。

「あの時も山内美紀を奪還するために村上と単独で接触しようとした。」

「ダメですか。」

「若いですな。いや、良いことです。」

古田はニヤリと笑った。

「あの時もあなたの向こう見ずな勇気によって捜査の突破口が開かれた。今回も非常に興味深い情報を提供してくれている。だから今回は遅ればせながらその恩返しということで協力しましょう。」

「向こう見ずって…。」

そう言って古田はカメラバッグから書類の束を取り出した。その中から何枚かの用紙を抜き出してそれを佐竹に渡した。

「機密保持。あなたはそれが仕事ですよね。」

「はい。」

「ワシが知っとる今川の情報です。」

佐竹は書類に目を通した。古田はその中の情報を補足するように佐竹に説明した。

「今川惟幾。46才。富山県高岡市出身。東京第一大学法学部卒業後、外務省に入省。主にアジア各国の大使館で勤務。10年後退職し米国シリコンバレーのIT企業に就職。そこで3年間勤務し帰国。東京でITコンサルタントとして様々な大手企業にITの利活用を教授する。そこでの実績を買われ、ドットメディカルに3年前CIOとして招聘され現在に至る。英語を始め、中国語、ロシア語も話すことができるとんでもなく凄い男ですよ。」

「なんでこんな凄い男がこんな田舎の一企業に?」

「そうなんですよ。これほどの人物ならピカピカの一流企業で仕事をすれば良いのに何故か石川の未上場の企業にいる。変でしょう。」

「はい。」

「ワシは今、こいつが何故ドットメディカルで仕事をすることにしたのかを探っとるところなんですわ。」

佐竹は書類を読み込んだ。そして古田の情報収集能力に驚かされた。今川の血縁、収入、宗教、支持政党、趣味、性格、癖、好きな食べ物など凡ゆる情報を網羅したものであった。

「古田さん。刑事ってここまで調べることができるんですか。」

「いや、ワシの趣味です。」

「ってか、古田さんって現役引退したんでしょう。何で今川の事をこんなに調べてるんですか。」

「言ったでしょう。趣味ですわ。」

古田はニヤリと笑った。

「佐竹さん。ワシが今の所あなたにお教えできる今川の情報はこれぐらいですわ。」

佐竹は目の前の男の凄さに圧倒されていた。

「ワシが何で佐竹さんが今川について調べとるか知っとったか。」

「そ、そうです。何で久しぶりの電話にも関わらず、僕が思っている事を言い当てることができたんですか。」

「ワシには情報が入ってくるようになっとるんですよ。」

「はい?」

「趣味仲間からね。」

ひょっとして自分も今川同様全て監視されているのではないか。そう思った佐竹の背筋は凍りついた。

「あなたに何かがあったらワシが助ける。これはあなたと私との約束ですからね。」

「は、はい…。」

佐竹が古田に対してえも言われぬ不気味な感情を持っている事を察したのか話題を変えることにした。

「佐竹さん…。ワシには娘がおったんですよ。」

「あ、はい。」

「ほやけどほらワシは仕事しか興味のない人間でしてね。カミさんに愛想尽かされて随分前に娘連れて出て行かれたんですわ。」

「そうですか。」

「カミさんはまぁどうでもいいとしても、娘だけは気にかかる。仕事辞めた今、そればっかりがワシの頭の中をぐるぐる回るんですわ。」

独り語りを始めた古田に佐竹は声をかけることができない。

「今も息災にしとればあなたと同じくらいの年齢や。ひょっとすると結婚もして子供もおるかもしれん。性別は違うけど、あなたを見とると娘を思い出す。娘をちゃんと見てやることができなんだ事を考えると、せめて同世代のあなたぐらいはちゃんと見てやらんとってね。」

佐竹は就職と同時に一人暮らしをし、親からの援助は一切受けない生活を営んでいる。盆暮れには実家に顔を出すが、それ以外で顔をあわせる事は殆ど無い。たまに母親がぶらりと佐竹の様子を見に来る程度である。親というものは子供が一人前になれば付かず離れずの関係を保つものであると佐竹は自分の体験を元に思っていた。しかし古田はそうでは無いようであった。

「多分、あなたの親御さんもきっとあなたの事を心配しとると思いますよ。」

「そ、そうですかね。」

「話が脱線しました。改めて佐竹さんにお聞きしたい。」

「何でしょう。」

「コンドウサトミについて何でもいいから手がかりみたいなもんは無いですかね。」

「古田さん。それは僕にも調べることが出来ないんですよ。」

「と言うと。」

「さっきも言ったように顧客情報自体が消えてしまっているんです。名前は読み仮名だけ。コンドウサトミっていう漢字もどういう文字を使っているのか分からない。もちろん住所も電話番号も何もかも一切が消されている。それが顧客情報抹消オペレーションなんです。」

「…そうですか。で、その操作がエンジニアぐらいしかできんわけですね。」

「はい。」

「そうなると藤堂がエンジニアか。」

「いや藤堂の顔写真を見る限りウチに来ているエンジニアじゃありません。」

「でも状況を考えればそれしかない。」

「まぁ。」

「藤堂という男は山県さんの情報の書き換え、コンドウサトミの情報抹消をいとも簡単にできるほどのそっちの方面のスキルを持ち、守衛の殺害も難なくやってのけた。そう考えるのが今の所一番妥当な線ですな。」

「そんなパーフェクトな人間っているんですか。」

古田は鋭い視線を佐竹に浴びせた。そして深呼吸し口を開いた。

「います。」

「誰なんです。」

古田は佐竹の問いには答えない。メモ帳の始めのあたりを開いて何かを確認し、それを閉じた。

「いや。それはまた今度にしましょう。」

「何で?」

「まだあなたは知らない方がいい。」