第十六話

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第十六話
五の線2 第十六話
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北陸新聞テレビ報道フロアの自席で黒田はクラフトの角2封筒の封をハサミを使って丁寧に開けた。彼はその中に入っていたA4サイズの用紙数枚を全て取り出した。

先ず彼の目に触れたのは山県有恒の経歴であった。石川大学卒業後金沢銀行に入行し3年前の金沢駅前支店支店長を経て現在、経営企画部部長となっている。

ー確かに山県は熨子山事件当時、佐竹の直属の上司だった。しかし勤務先の上司がどれだけこの事件について知っていると言うんだ。直接的に事件に関わっているわけでも無いのに…。

会社での付き合いがプライベートまで波及することは珍しい。会社の上司はあくまでも仕事上の管理者。一歩会社を出れば全くの他人。そんなもんだ。公私共に親交を深める間柄というのは同僚という立場ならまだ理解の余地が在るが、上司と部下という関係性にそれを見出すことは難しい。黒田はもう一枚の用紙に移った。

「え?」

そこには山県の家族情報が記載されていた。山県と配偶者の登美子は直線で結ばれ、その間から下に向かって垂直に線が引かれている。そこには長女、久美子の名前が記載されていた。黒田が思わず声を発したのは、この久美子の横に引かれた水平線の先の名前であった。

「一色?」

黒田は目を疑った。山県の娘と一色が婚姻関係に在るというのはどう言うことか。

ー婚約後まもなく一色貴紀と山県久美子は入籍したが久美子が何者かにレイプされ、彼女は精神を病むこととなった。そのレイプの実行犯は熨子山で殺された穴山和也と井上昌夫。…ってなんだよこれ…。

黒田は書類が示す事実に戦慄した。熨子山連続殺人事件は村上とその同期でもある鍋島の2人による凶悪犯罪であった。容疑者2人を含める関係人物5人は金沢北高の剣道部の同期。数奇な運命が彼らの人生を狂わせた特殊な事件であったと彼なりに理解していたつもりだ。しかし今、彼が目にする書類はそれとは別の角度での人間関係があったことを示している。

「複雑すぎるよ…この事件…。」

思った以上にこの事件は様々な人間の思惑が絡み合っている。無数の情報を細切れに世に出しても、量が多すぎるため受け手で整理できず、情報そのものの価値を下げてしまう恐れがある。ならば何処かに焦点を絞って事件の真相の一端を体系的に明らかにするしかない。黒田は頭を抱えた。

「取り敢えずこの山県と周辺を調べてみるか…。それにしても熨子山事件といい、今朝の事件といい、何でこうも金沢銀行が関わってくるんだろう。」

さてと言い、黒田は鞄を取り出してその中からいつのものだか分からない古い新聞記事の写しを取り出した。

ー切り替えよう。あの人の依頼も放ったらかしにできないしな。

黒田の頭の中にはいつぞやの片倉とのやりとりが再生されていた。

 

「黒田。お前に頼みがある。」

「なんでしょう。」

「この男調べてくれんか。」

差し出された写真を手にした黒田は首を傾げた。

「誰ですかこれ。」

「こいつさえ上手いことすれば、俺の営業成績がバーンと上がれんて。」

「こんな若い人間がなんかの決定権でも持ってるんですか。」

「仁川征爾。ドットスタッフ社長。」

「ああ、ドットメディカル関係の会社ですね。…ってか随分と若い社長なんですね。」

「ほうや。年齢は38。福井県出身。東京第一大学卒。大手商社から引き抜かれた男や。」

「調べてあるじゃないですか。」

「だら。これぐらいアホでも調べられるわ。俺が欲しいのはこいつの弱みや。」

「弱み?」

「俺も営業やから数字上げんといかんげんて。でもいい歳やろ。ほやからちょこまかした数字上げるよりもでけえもんをがっさり持ってこいって発破かけられとれんて。ほうなったら正攻法やと絶手ェ無理や。でけえ数字上げれそうな先を見繕って、そこの綻びを突いて商売してやろうと思ってな。」

「結構下衆い方法ですね。」

「まあな。こっちはこっちで切羽詰まっとるからな。」

しかしこの仁川という男の弱点を見つけろという指示はあまりにもぼんやりしすぎている。黒田は片倉にもう少し手掛かりになる情報はないかと尋ねた。

「俺も元刑事や。調べるだけ調べた。でも弱点がない。」

「じゃあアウトですよ。」

「黒田。それはちょっと違う。」

「は?」

「弱点が無い人間なんかこの世に存在せん。」

「片倉さん。大丈夫ですか?あなた今さっき弱点が無いって自分で認めたじゃないですか。」

「あのな。表面的に完璧な奴ほど脛に傷を抱えとるもんや。俺はいろんな資料を集めてこいつの人となりを調べたけど、今のところその弱点が見つけられとらんだけ。お前には机の上じゃなくて、現場記者のスキルを最大限に活用した調査をして欲しいんや。」

「でもそれが得意なのが片倉さんなんでしょう。なんで俺なんですか。」

「だら。俺は日々の数字を作るので忙しいんや。そんな事までできんわい。」

「じゃあ会社の同僚とかはどうなんです?」

「だめ。手柄が持ってかれる。第一俺、あすこの奴らと口もろくに聞かんもん。」

 

黒田はカバンの中からスマートフォンを取り出し、画面を何度かタップし片倉から提供された写真を表示させそれを見つめた。そしてその画像を横にスライドさせ、次に表示された画像と見比べた。

「どう見ても同一人物。完全に一致。」

こう呟くと黒田はPCを操作し、ウェブブラウザを立ち上げた。そしてキーワードを入力し、あるブログを表示させた。最新の記事に彼は目を通した。

そのブログは女子校生と思われる人物が日々の他愛も無いことを書き連ねるブログであった。友達と何処そこに行ったとか、何を食べたとか、可愛い洋服を買ったとかの類の事ばかりである。しかし彼氏と別れたと書かれた記事を境に更新が途絶え、2ヶ月後に投稿が再開されていた。再開の記事タイトルは「ソウルメイトに出会った」である。自分の悩みを全部受け入れてくれた人物と出会うことができたようである。その記事を契機にブログは頻繁に更新されていた。自分の悩みを理解してくれる人間がいる。だから自分も誰かの悩みや相談を受け入れて、その人の役に立ちたいと彼女は書くようになっていた。今まではこれだけ充実しているという自分に関することばかり書いていたブログであったが、「ソウルメイトに出会った」という記事からは、他者や社会情勢、政治情勢、経済情勢といった方面に彼女の関心ごとは変化していったようだ。その彼女の最新投稿記事は「メンター」というタイトルである。

 

”私たち庶民は上流と言われる彼らによって支配されています。私たちは彼らが求めるように、毎日決まった時間に出勤し、仕事をし、価値を創造しています。その価値の対価として報酬を得ているのです。しかし得られる報酬は、会社経営という名目によって上流階級に搾取され、私達のような庶民には雀の涙程度のものしか支給されません。そんな中、税負担は年々増え、私たちの可処分所得はみるみる減っています。結果、富める者はますます富み、貧しき者はますます貧しくなっています。

日本は自由で平等な社会だと言われますが、実のところ階級社会となっているのです。

そのことに政治経済の上流にある者たちは既に気がついています。そこに気づかれると彼等は都合が悪いのです。ですから彼等は期待という名の偽善で私たち労働者に仕事の負担を増やし続けるのです。そして不条理な根本問題から目を背けさせるのです。

本当にこのままでいいのでしょうか。不条理なことは是正されるべきではないでしょうか。国民主権という言葉は一体どこに消えてしまったんでしょうか。これら様々のことを考えていると気がおかしくなりそうです。

しかし私にはメンターがいます。精神的主柱となる存在があります。今日もこれら不安に対する対応方法を教授してもらいました。この方が私の師匠です。"

 

文の最後に1枚の画像が貼られていた。投稿者らしき若き女性と男が肩を組んで写っている写真である。

「ポッカリと空いた心の隙間に付け入って、何悪さしてんだよ。」

黒田は自分の携帯に表示させた画像に視線を移した。

髪を真ん中で分け、切れ長の目とほっそりとした顔立ちがなんとも冷淡な雰囲気を醸し出している。黒田の携帯には右手に墓参り用の花を持ち、俯き加減で歩く熨子山で見かけた男の画像がしっかりと収められていた。

再び彼はPCに表示されている画像に目を移した。

真ん中で分けられた頭髪。ほっそりとした顔立ち。これらは携帯に表示された画像と酷似する。ただひとつ異なる点がある。その点を除けばこれらはほぼ同一人物といって良いだろう。

「丸メガネなんか掛けやがって。」

黒田の机の上に広げられた新聞の見出しには「不明者 残りひとり行方わからず」とある。20年前に8名の死者を出した近畿地方の土石流災害の記事だ。自衛隊、警察、消防の懸命な捜索にも関わらず行方不明となった人物の安否が分かっていないとのことである。記事の中ほどにマーカーで線が引かれていた。

「仁川征爾。」

そこには不明者の顔写真と一緒に仁川征爾の名前が書かれていた。

「戸籍ロンダリングですかね…。」