第十四話

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第十四話
五の線2 第十四話
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日曜日、佐竹は朝から外出していた。昨日は1日警察の捜査に付き合い山県の支持に従った。帰宅時間は21時と休日出勤にも関わらず、目一杯働いた。いつもの業務とは異なる事をすると仕事をしたという感覚は薄い。なので彼の体はさほどの疲労感を覚えていなかった。

小松部長の通夜は明日執り行われることになった。山県から聞いた小松の死因は自殺。金曜には特に変わった様子は無かった彼が何故自ら命を断つことになったのか。いろいろ考えてみたが所詮会社だけの繋がり。佐竹の豊かな想像力を持ってしても検討がつかなかった。とにかく守衛と小松の金沢銀行に関わる2人が死んだ。これは事実として受け止めなければならない。これから当面の間は、暫定総務部長の山県の手足となり、社員情報の乗っ取りについて調べなければならない。今回の事件は自分が管轄する情管のシステムが破られたことに端を発する。佐竹は自分の責任を痛感していた。山県は「今は誰がどうのと責めるつもりはない。真相究明に全力を注ぐ」と言っていたが、その先には恐らく自分の処分が待っているだろう。そう考えるとこれからの金沢銀行での仕事から逃げ出したいと思うのである。

考えを巡らせているうちに佐竹の車はアサフスの駐車場に到着した。まだ朝の9時であるというのに、店には複数の客がいた。そう盆の墓参りのために花を買いに来た者たちだ。日が高くなる前の比較的涼しい時間帯にそれを終わらせてしまおうという、計画的な者たちだ。彼もまたその中のひとり。エンジンを切り、彼は車を降りて店の中に入った。

「いらっしゃいませ。」

いつも耳にしている女性の声が彼を迎えてくれた。

「おはよう。朝から頑張ってるね。」

「昨日は遅かったのに、今日は早いね。」

佐竹を迎えたのは山内美紀だった。

「おう佐竹。おはようさん。」

天地が狭い銀部眼鏡をかけ、このくそ暑い真夏でも3年前同様、ニットキャップを被った赤松が店の奥から出て来た。当時は顎髭姿だった彼は、今では口髭も蓄えどこかの芸術家のような風格さえ備えていた。

当時アサフスのバイトだった山内は今は正社員としてアサフスで働いている。2年前にフラワーアレンジメントの大会で優勝する実績を収めた彼女の才能を赤松が高く評価してのことである。今では美紀はアサフスにとって欠かすことができない人材となっていた。

「美紀から聞いたぞ。」

「もう聞いたのか。」

「ああ、何せお前が働く職場で起こった事件やしな。」

「まあな。」

「どうなん。犯人とか分かったん。」

「分からん。って言うか守衛だけじゃねぇんだ。」

「何?」

「ウチの部長が首吊ってしまって…。」

「マジか…。」

「マジ。」

「おいおい金沢銀行はどうなっとれんて。いっぺんに2人の人間が死んでしまうなんて、なんか呪われとるんじゃないか。」

「そうかもしれんな。」

「佐竹、お前だけはしっかりしてくれや。」

「ヤスくん。あんまり頑張りすぎないでね。」

山内も赤松も佐竹を案じている。何かのきっかけで彼の病気が再発するかもしれないからだ。

3年前、高校時代の戦友同士が何の因果か争い、結果としてその内の3名が死んだ。こんな特異な出来事を経験して精神が不安定にならない人間はいない。佐竹は熨子山事件後しばらく精神を病んだ。その不安定な彼をサポートしてくれたのが山内と赤松だった。特に山内は佐竹に寄り添い、懸命に彼の世話をした。それがきっかけだったのか2人はいつしか付き合うこととなり、恋人となった。もちろんその影には当初、山内を佐竹に紹介した赤松の取り計らいがあったのは言うまでもない。2人が佐竹のことを案じているのはよく分かる。再び当時のような心配をかけたくない。佐竹は大丈夫だ。心配はないと答えた。

「墓参りか佐竹。」

「ああ。あそこにはあいつらがいるからな。」

そう言うと佐竹は店の奥にひっそりと飾ってある写真に目をやった。佐竹の自宅にあるものと同じ、高校時代の剣道部の集合写真だった。

「赤松、お前は行って来たのか。」

「おう。昨日行って来た。まあこの盆の期間は機会を見てまた行ってこようと思っとる。」

「そうか。」

ちょうど来客の波が治まったところだから、折角なので山内と一緒に行って来いと赤松は気を利かせた。佐竹は彼の言葉に甘えて美紀と熨子山の墓地公園へ向かった。

墓地公園は思った通りの混雑ぶりだった。小さな子供の手を引いてやってくる若い世帯。手押し車を押してよたよたとやってくる老人。日曜というのに仕事なのかワイシャツ姿の男など様々な人間が切れ間なくここにやって来ていた。1年に一回しかここを訪れないという人間も多いようで、公園の管理事務所にウチの墓はどこでしたかと訪ねている者もある。

墓参りに来る者みな、ここに眠る者にそれぞれの思いを寄せている。念仏をひたすらに唱える者、何かの報告をする者、墓参りに来たという親戚に対するアリバイ工作をする者。実に様々な人間模様が交錯している。方々で煙る線香の香り、僧侶が鳴らす鈴と読経の声の中を佐竹と山内は歩いていた。

2人は先ず、赤松家の墓地を訪れた。父忠志と昨年他界した文子の菩提を弔うためだ。佐竹は張り巡らされている縄にキリコをくくりつけた。

「あ。」

「どうしたん。」

「古田さんだ。」

3年前の事件の後取り調べを受けた佐竹は不起訴となり釈放された。事件に巻き込んでしまったことを悔いた古田はその後、佐竹の精神的ケアのため時折個人的に会っていた。しかし彼とは退官の挨拶を直接受けてからというもの、音信不通となっている。向こうからも佐竹の方からも特に連絡をとることは無かった。

「古田さんも社長のお母さんのこと気にかけてくれてたんだね。」

「そうみたいだな。」

「あの人、いまなにやってるんだろう。」

「気になる?」

「まあ少しはね。ヤスくんもお世話になったでしょ。」

「そうだな。」

佐竹は蝋燭に火を灯し、そこに線香の束をかざした。燃え移った火を消し煙を上げ出したそれを立てて目を瞑り合掌した。佐竹と山内は何を墓前に報告していたのだろう。2人ともしばらく黙って墓を見つめていた。

続けて一色家の墓を訪れた佐竹は先ずそこに掛けられたキリコを確認した。3年の年月を経ても彼の死は風化していないようだった。赤松はもちろん、古田をはじめとした警察関係者らしきものが数多く掛けられていた。

あの時の一色は村上を始めとした仁熊会やマルホン建設、本多一族の悪事を一網打尽にするため奔走していた。しかし反撃に遭い、あえなく落命した。巨悪に立ち向かいながらも、旧友の悪事を何とか自分の手で処理しようと水面下で捜査をしていた彼の死は、関係者に大きな衝撃を与えた。彼の死は殉職とされ、警察関係者の間では伝説とさえなっているが、一度は連続殺人事件の容疑者として世間に報じられた人物。社会的には一色という人物の存在感はない。記憶から消し去られている。

「山県さんだ。」

彼の死は婚約者であった山県久美子にとっても辛い現実だった。彼女を強姦したとされる2人の容疑者は死亡し、一見するとその仇は討られた。しかしそれ以上に一色の喪失は彼女にとって大きい。そのケアに苦心していると以前山県は漏らしていた。3年の年月は彼女の傷を癒すことができたのであろうか。佐竹は昨日言葉を交わした山県の表情を思い浮かべた。

次に2人は村上と鍋島が眠る無縁墓地へと足を進めた。

村上はどうやら親とは絶縁状態にあったようで、彼の死に際しても親は一切顔を出さなかった。警察は親と連絡を取ったようなのだが、彼の引き受けを固辞したため、結局彼は同じく身寄りがない鍋島と共に、ここの無縁墓地に埋葬されたのである。無縁墓地には様々な人間が埋葬されている。彼らのように身寄りがない人、墓地管理を放棄された人などである。佐竹と山内はその前に立った。寄せ集められた墓石の集合体がなんとも物悲しげに映った。無縁と言われながらも花などが手向けられている。人には言えない関係性が無縁たらしめることもあろう。村上も鍋島もそうだ。その花などが備えられている姿がなお一層の淋しさを演出しているように受け止められる。

村上がなぜ3年前にあのような事件を起こしたのか。その理由は当時、村上本人の声で佐竹は聞いた筈だった。しかし何故か当時の記憶は殆ど残っていない。精神的ショックが記憶を掻き消したのだろうか。佐竹が知る事件の真相は古田や山内からの伝聞によるものである。

「あれから3年か。」

佐竹は花を供えた。

「なんでこうなってしまったんだ…。」

そう言うと佐竹はそっと手を合わせた。彼の頬に一筋の流れるものがあった。

彼の隣に山内以外の人の気配が感じられた。彼は合掌を解き、その人間に無縁墓地の参拝を譲ろうとした。軽く会釈をしてその場を立ち去ろうとした瞬間、佐竹はその人間に思いがけず声をかけられた。

「佐竹代理ですよね。」

佐竹は振り返った。

「偶然ですね。本多です。その節はお世話になりました。」

本多善昌だった。

「あ、ああ。社長。こちらこそその節はいろいろとお世話になりました。」

「今日はね、ウチの親父と関係があった村上さんの墓参りで来ました。」

「そうですか。」

佐竹は3年前の金沢駅前支店勤務の時、マルホン建設の担当だったため、本多本人とは面識がある。当時は随分と世間知らずの傍若無人な人間であった。しかし事件後は人が変わったと同僚から聞かされていた。

「久しぶりにあったところで何ですが、いやぁ驚きましたよ。今朝のニュース。守衛さんでしたよね。気の毒な話です。」

本多のこの言葉を聞く限り小松の死は今のところ世間では明るみになっていないようだ。

「ええ。ご迷惑をお掛けしております。」

「我々は何も迷惑なんかかかってませんよ。佐竹さんの方が大変でしょう。」

「ええまぁ…。」

「今、どちらのお店で?」

「あ、ええ、今は本部です。」

「それはそれは…。って事件があったところじゃないですか。」

「はい。てんやわんやです。上役は昨日から出ずっぱりです。」

「ってことは佐竹さんは直接関係のない部署にいるんですか。」

「いや僕は情報管理課なんですが、一応総務部の人間ですので関係ないことはないです。昨日も出勤してました。」

「情報管理課?」

「ええ。」

本多の顔つきが変わった。

「御行の情管には確かドットメディカルの情報戦略事業部が入ってるんじゃなかったですか。」

「ええ、そうです。それがどうかしましたか。」

本多はため息をついた。そして佐竹の隣に黙って立っている山内を見た。山内は本多の気持ちを察した。何か内々に佐竹と話したいことがあるように見受けられた。彼女は先に車に戻っていると言ってその場を外した。

「佐竹さん。ドットメディカルとの提携は我が社に建設業の新しい視点を切り開いてくれました。お陰で今の好調な業績があります。しかし…。」

「しかし?」

「狼が牙を剥き始めました。」

「狼?」

「このタイミングで佐竹さんと会ったのも何かの縁。あなたもくれぐれも注意して下さい。」

佐竹は昨日の様子を思い起こした。金沢銀行の情報システム課にはドットメディカルの人間が出向で来ている。そう山県に答えた時、彼の表情は一変した。その事と何か関係があるのだろうか。

「社長。もしよければ私に詳しい話をお聞かせくださいませんか。」

腕時計に目を落とした本多は頷いた。