第十三話

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第十三話
五の線2 第十三話
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相馬の自宅は金沢の南部にある。何をするにしても車が必須金沢において、彼はまだそれを所有していなかった。運転免許は持っている。車もその気になれば買えるくらいの蓄えはある。しかし車を所有するには金がかかる。ガソリン代はもちろん、毎年課税される税金、任意保険。相馬の場合は駐車場代というものが別途加算される。自宅には彼の車を止めるスペースが存在しないためだ。仮に相馬が車を持ちそれで通学をするとなると、自宅の駐車場代、そして学校付近の駐車場代が必要になる。車は金食い虫だとはよく言ったものだ。相馬はこれらのコストを考えて、当面の間は車を所有しないことにした。そのため彼の交通手段はバスか自転車だった。

相馬は北陸新聞テレビを出て香林坊付近をぶらぶらと歩いていた。

18時半を回りようやく日が沈み出した。低くなりはじめた太陽の光が香林坊のビルに照射し、多くの日陰を作り出している。街路樹の葉が風によって時折そよめく。日中よりも心地よい外の環境のため相馬の足取りは軽かった。

思いがけず黒田から食事代として2,000円を貰ってしまった相馬は、折角なので誰かと一緒に食事をしようと考えた。まず彼の頭に思い浮かんだのは、昨日コミュへ一緒に行った長谷部である。黒田というテレビ局の記者に目をかけられ、仕事も依頼された。それも長谷部がコミュに誘ってくれたからである。せめてもの礼としてこの2,000円を還元しよう。そう考えた相馬は長谷部に連絡した。しかし生憎彼は先約が入っていたようでまた今度ということになった。

ーこのまま帰るか。

香林坊から柿ノ木畠を通過し、気が付くと美術館にいた。相馬は円形のその建物の中に入り、当てもなく歩いた。連日盛況に沸くこの美術館は交流ゾーンと展覧会ゾーンの二つのスペースがあり、土曜19時の現在でも展覧会ゾーンは開かれており、多くの来場者が行き来している。相馬は有料である展覧会ゾーンは避け、交流ゾーンと言われる無料の場所を歩いた。彼は天井がないため夕焼け空がトリミングされたように見える何とも不思議な部屋に入り、天を仰いだ。

気持ちが良かった。

しかしこの気持ちが良い時間は瞬時に終わった。彼の名を呼ぶ声が聞こえたからである。相馬は声が聞こえる方を向いた。

「京子ちゃん?」

部屋の入り口からこちらの方に向かって手を振っている女性がいた。紺地に白の線が映えるボーダーにオレンジのマキシスカート。生地感がそう見えさせるのか女性らしい体の線がはっきりと見える。ショートカットの彼女は相馬の横に座り、肩に掛けていたバッグを重たそうにベンチに置いた。

「何やっとるん?」

「何って、ボーッとしとるだけや。」

「バイトの帰り?」

「ほうや。京子ちゃんこそどうしたん。」

「バーゲンの帰り。」

この7月の盆の時期からアパレル各社は夏物のバーゲンセールを繰り広げる。金沢では香林坊、竪町、金沢駅周辺にアパレルショップが集積しており、ファッションに関心を示す層はこの辺りを大きな買い物袋を担いで移動する。ファッションにあまり関心がない相馬はそれらの人々がバーゲンという限定期間に熱狂するさまを冷めた目で見ていた。

「何かいいもんあったん。」

相馬はとりあえず社交辞令的に京子に尋ねた。しかし彼女の手にはアパレルショップの買い物袋は存在しなかった。

「出るの遅かったー。夕方から街に出てもいいもん何もないわ。」

「今日は初日やろ。」

「初日でお目当てのもん無かったら、もう何にもないわいね。」

「そんなもんかね。」

「そんなもん。」

相馬と京子は近所に住む幼馴染みである。小学校から大学まで2人は同じ学校にいた。年を経るに従って、人間関係というものは変化する。幼い時に親しかった間柄も周囲の友人関係によって疎遠になったりするものだ。この2人にもそういった期間は少なからずあった。しかし高校時代に同じ部活動に所属することで、変なわだかまりは解消された。むしろその高校時代がきっかけで、京子は相馬に対して特別の感情を抱き始めていた。しかし幼馴染みという関係性が彼女の気持ちの告白を妨げ、今日に至る。

「どうけ。今日のファッション。」

「どうけって…。」

先ほど遠目に見た時に随分と体の線がくっきりと見える服装だと思った。改めて間近に京子を見ると、ふっくらと盛り上がった胸のあたりはトップスが薄手の生地であるためか、その先の下着まで見えそうであった。

「なにジロジロ見とらん?」

「別に…。何か今どきやね。」

「周は本当にむっつりやね。」

京子は大学では人気者だった。無理もない。世間一般では可愛いともて囃される顔立ちだ。それでいてお洒落、愛嬌もある。高校時代は相馬と同じ運動部であったので体つきもスリムである。単なるアスリート体型と言うわけでなく、女性らしい部位はそれなりに発達している。モテないわけがない。相馬はいつも友人に京子を紹介してくれと言われる。何度かセッティングを試みたが京子が頑として断るためそれは実現していない。

そんな人気者の京子の気持ちに相馬は気づかないのだろうか。いや気付いている。相馬にとって京子は大切な人間であるには違いない。しかし彼女と同じく幼少期からの付き合いのため、どうもその手の感情表現ができないのである。相馬も京子も抱く感情は同じであるが、これといった機会に恵まれずずるずると現在を迎えている。

「男の気を引くような格好してどうすらん。」

「別に気なんか引いとらんよ。私が着たい服着とるだけ。ほら、好きな服着ると気分上がるやろ。」

「そんなもんかね。」

京子と何だかんだと話しているうちに20時近くなった。

「京子ちゃんは今から家に帰るん。」

「うん。」

「ほんなら一緒に帰っか。」

2人は立ち上がり最寄のバス停に向かった。

「周さぁ。コミュって知っとる?」

「え?」

「なんかね、いろんなことを議論するサークルみたいなもんらしんやけど、友達から誘われとるげん。」

昨日のコミュの光景が相馬の頭に浮かんだ。他人の意見を受け入れるだけの実りの無いイベントであるということを京子は伝えられているのだろうか。

「京子ちゃんはSNSとかやっとるん。」

「SNS?そんなん付き合いだけやわ。私、あの中でいろんなやりとりするの嫌いねん。上っ面の事ばっかり書いとるし、私はそんなに友達に伝えたいこともないし。」

「そう。」

「ちょっと言い方は悪いけど、気持ち悪い感じもするげん。」

「そのコミュってところはそのSNSをリアル世界に落とし込んだようなところやわ。」

「何?周は行ったん?」

「昨日、長谷部に誘われて…。でも勘違いせんといて。俺はSNSも何もやっとらんし、京子ちゃんと同じように上っ面の付き合いとかも面倒臭くて大っ嫌いなんや。」

「ほんなら何でほんなところに行ったん。」

岩崎の様子が気になったなんて彼女の前で言えるわけもない。

「何ちゅうか…ほら、普段誰とも話もせんがに、そういうところに積極的に参加する人間って興味あるやろ。それをちょっと観察しに行っただけ。」

「誰それ。」

バスの座席に2人並んで腰をかけ、目を合わすことなく唯正面だけを見ていた相馬だった。しかし、この京子の声を聞いた瞬間、隣を見ずとも彼女の心は穏やかで無いことは明らかにわかった。別に相馬は岩崎に特別な感情を抱いていない。純粋に岩崎のような孤高の存在が何故、コミュといった団体に出入りしているかを知りたかったのである。だからと言ってここで京子の前に岩崎の名前を出すのは得策ではない。自分に気がある女性の前で、別の女性の名前を出すのは得策とは言えない。変な誤解を招くとあとあと面倒臭いことになる。

「長谷部がな。気になる女がおれんて。」

「長谷部君?あの人の女の人なら皆気になるんじゃないがん。」

「ああ、そうそう。」

「私の友達にもあの人と付き合った人おるよ。私にも声かけてきた。キモい。」

「その長谷部がだよ。とうとう本気になったんやって。」

「じゃあ何、私の友達とかは遊びやったって言うん?」

「いや、そんなんじゃないって。」

相馬は長谷部を引き合いにだし、名誉を傷つけていることに心の中で許しを乞うた。確かに長谷部の女性遍歴は目に余るものがある。しかしそれは全て彼が悪いということではなく、彼という男と付き合うことを選択した女性にも一定の原因がある。何でもかんでも誰かを一方的に悪者にするのは良くない。長谷部が何かの虚言や謀略を使って、女を弄んだと言うなら非難されるべきだろうが彼はそういった卑怯な真似はしない。相馬は京子が抱く長谷部の誤解を解くことに腐心した。

「で、その長谷部君がご執心な人がコミュに出入りしとるん?」

「そう。そうねんて。でも自分ひとりじゃ心細いから一緒に来てくれって言われてさ。俺も傍から見守ったってこと。」

「無口で誰とも関わり合いがなくて、それでいて美人。そう言ったら岩崎さんしかおらんがいね。」

「あたり。」

「そうかぁ岩崎さんかぁ。」

妙に納得したような表情で京子は頷いた。

「どうしたん?」

「いやね。コミュに誘ってくれた友達ねんけど、工学部の子ねん。」

「うん。ほんで。」

「工学部に下間先生って居れんけど、その子あそこのゼミ生ねん。」

「下間ってあれ?原子力かなんかやったっけ。」

「そう。ゼミ室で資料を探しとったら、身なりは地味やけど随分綺麗な人がそこに入ってきたんやって。ほんで先生のそばに寄ってなんかひそひそ話をして、私の友達とは一言も喋らんとすぐに帰って行ったんやって。そしたらさっきまで黙って本を読んどった下間先生が友達に何か最近元気がないぞって言ってきてんて。」

「へえ。ほんで。」

「その友達、最近彼氏と別れて確かに落ちこんどってん。ほんでそのことを先生に言ったら、少しは心が楽になるかもしれんって言ってコミュを紹介してくれてんて。その子が言っとたんやけど、あの時の女の人キャンパス内で見たことあるって言っとったから、ひょっとしたらそれが岩崎さんなんかもしれんね。」

「地味で社交性がなけど美人。キャンパス内で見たことがあるその女が来た途端、コミュの話題。あり得るな。でも、岩崎って法学部やろあいつ。なんで工学部なんかに。しかも原子力やろ、関係ないがいや。」

「ねえ、何か岩崎さんってところがちょっと面白くない?」

「面白い?」

「周の言うこともわかるよ。孤高の美女が特定の場所で積極的に人と交わってる。何故だか知りたいって。」

「あ、おう。」

「ちょっと、私らも潜入してみん?」

「はぁ?」

「何か面白くない?探偵みたいで。」

相馬は翌週のコミュの会合に潜入するつもりだ。参加者からの声をいろいろと聞き出したい。しかし初対面の人間からそうやすやすと話を聞くことはできるだろうか。おそらく一緒に行くであろう長谷部は岩崎しか見ないだろうから、彼からの感想といったものは期待できない。できれば折角行くのだから少なからず成果が欲しい。となれば、京子が一緒に行って見ないかと言ってくれているのは、第三者の感想を手に入れることができるということで非常に嬉しい話ではないだろうか。

「行く?」

「うん。」

自宅近くのバス停で2人は降り、そこから5分ほど歩いたところで足を止めた。京子の自宅前である。京子の家には1台の軽四が助手席側を建物に吸い付かせるように横付けされ止まっていた。最近買い換えたのか新車であった。京子の話によると、彼女が大学生になり親の手を煩わせない年になってからというもの、母は趣味であるドライブを時々しているらしい。勿論ひとりではなく友人と一緒である。県内外のいろんなところへ行って当地の美味しいものを食べたり、買い物をしたりと結構充実した日々を過ごしているようだ。京子の母は専業主婦である。彼女が外出して遊びに使う金は全て旦那の稼ぎによるもの。日々の生活費を切り詰めて旦那が400円の弁当を食べているにも関わらず、奥方は気の知れた友人と2,000円のランチを食べていると世間では皮肉があるが、京子の家はまさしくこれなのか。相馬は京子の父についても尋ねた。

「だっていつもおらんもん。しょうがないがいね。」

「まあ…。」

「偶に家におるって思ったら、自分の部屋で望遠鏡覗いて鳥の観察とかしとるし。」

「あぁ何かそんな事言っとったね。」

「でも今日は久しぶりにあの人と少しだけ話してあげよっかな。」

父親のことをあの人呼ばわりする京子を見て、相馬は彼女と父との距離を感じた。あまりこれ以上立ち入らない方がいい。そう考えた相馬は家の中に入る京子を見届けた。彼女の家にかかる表札には「片倉」の文字が刻まれていた。