第六話

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第六話
五の線2 第六話
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片倉の自宅から車で10分ほどのところに鄙びた趣の喫茶店がある。店の名前は「セバストポリ」。店主はウクライナやロシアに縁があるわけでもなんでもない。勿論クリミア戦争についても何らの知識もない。この名前には特段意味は無い。ただ単に口に出して気分がいい言葉として店主が選択した。このセバストポリ、外観は鄙びているが中はいつも客でごった返すほどの盛況ぶり。その理由は珈琲の味が良いとか軽食が美味いとかという理由でなく、居心地が良い空間を提供してくれるというのが好評を博しているからだ。狭い空間でありながらも席と席とを絶妙な空間で仕切り、窮屈感を持たせることなくプライバシーを保つことができる。これが各種の商談、会合、与太話をするのにもって来いなのだ。

なので客層はばらばら。近所の馴染客もいれば、物書きする人間もいる。スーツを着たサラーマン風の人間もいれば、会社の重役らしい品のある人物がひっそりと佇んで本を読んでいたりもする。これら種々雑多な人間がいる場所は自分の身分を特定されにくい。尚且ついろいろな会話が繰り広げられるので、情報源にもなる。そういうことで片倉はセバストポリの店主である野本をSとしていた。

片倉は店に入り空席を見つけそこに座った。しばらくして店主の野本がおしぼりと水をもって来た。

「どうしたん今日は。」

「打ち合わせ。」

「客人なんて珍しいじ。」

「招かれざる客…。」

「長引きそうですか。」

「どうしたん?」

「片倉さんに依頼されとった件ですよ。」

野本はそういうと前掛けのポケットからメモ用紙の切れ端を取り出して、おしぼりの下に隠すようにして片倉に渡した。片倉はメモの中身を見ずにそのままポケットにしまいこんだ。

「わかったんか。」

「確証はありませんが、信頼できるところからです。」

片倉は頷いてコーヒーを注文し、野本はその場から立ち去った。

「すいませんね。片倉さん。」

野本と入れ違いで黒田がやって来た。

「随分繁盛してますねこの店。」

「そうやな。」

給仕が黒田におしぼりを渡した。

「アイスコーヒーで。」

彼はそれで手を軽くふき、顔や首筋をゴシゴシと拭いた。

「あー。すっきりするー。」

浅黒かった顔が心持ち白くなったようにみえる。彼は日焼けで顔が黒くなっていたのではなく、ひょっとして垢が顔にこべり着いていたためなのか。片倉は訝しげな表情で黒田を見た。

「なんだよ。」

「今日は片倉さんに聞きたいことがありましてね。」

おしぼりを畳んで黒田はメガネをかけ直した。そして声を潜めて片倉に言った。

「昨日の金沢港の件ですよ。」

「ああ、あの自殺か。」

「違います、コロシです。」

「は?」

「何とぼけてるんですか。」

「とぼけとらんわいや。なんでコロシねんて。」

黒田はため息を付いた。タイミングよくそこでホットコーヒーとアイスコーヒーが給仕された。二人はタバコを取り出してそれに火をつけ、出されたそれに口をつけた。

「こっちには証拠があるんですよ。」

「ちょっと待てや。お前聞くところ違うやろいや。それは捜査一課さんに聞いてくれま。」

「聞いても何にも情報がもらえないから、OBの片倉さんに聞いているんじゃないですか。」

「現役の連中から話を聞き出せんがは、お前の力量不足やろ。鼻から俺を頼んなま。ほれになんで自殺やって言われとるもんをコロシって言えれんて。」

「画、抑えてあるんですよ。被害者の様子。首ぱっくりやられてるんですよ。」

「何やって…。」

「聞くところによると被害者はハンドルと自分の手首を紐か何かで固定してたそうですよ。これじゃ絶対に自分の力で首を切れるわけがない。」

黒田はタバコの火を消してアイスコーヒーを飲み干した。

「何が起こっているんです?」

「そりゃあこっちが聞きたいわ。ってかサラリーマンの俺に今の事件のこと聞くなま。」

「だからOBとしての意見を教えてくださいよ。思いつくこととか何でもいいですよ。」

「わからんもんはわからん。」

「本当に分からないんですか?」

「おう。」

「こんなことって有り得る話なんですか?」

片倉は顎に手を当てて考えるそぶりを見せた。

「あり得ない。」

「でも実際に起こっている。」

「抜くんか。」

片倉の右足は貧乏ゆすりが収まらなかった。

「…遺体の身元は石川経済振興会の長尾とかいう男です。この男、興味深い男でしてね。」

「興味深い男?」

「ええ。東京第一大学工学部を卒業し商務省に入省。産業情報政策局電力安全課配属。その後、電力畑をめぐって石川電力に天下り。その後石川経済振興会です。」

「…。」

「電力畑の人間ですから、志賀町とか能登のあっちの方の経済振興を下支えすることで、原子力発電に対する市民の不安などを取り除く。そして地元における電力会社の信頼を構築する。現在は頓挫していますが、石川電力は未だ珠洲での原発立地を諦めていません。信頼醸成後、再びあすこに立地できるよう国とか自治体に働きかけますよ。これが長尾の基本姿勢です。もちろん長尾は経済振興会の事務局長ですから表に出るわけじゃなく、あくまでも黒子として活動するわけです。」

「で。」

「この長尾が面白い男と接触しているんですよ。事件の一ヶ月前に。」

そう言って黒田は一枚の写真を片倉に見せた。そこには片町のとあるバーから出てくる男二人が写されていた。ひとりはスーツ姿のパリっとした身なりの男。もうひとりはラフな出で立ちの丸刈りの男である。

「スーツを着ているのが長尾。もうひとりは下間(しもつま)です。」

「下間?誰だ。」

「下間芳夫。石川大学工学部教授。専門は原子力工学。」

「普通だろ。電力と原子力学者は。」

「いえ。この下間は実は反原発論者なんです。」

「反原発?」

「そうなんです。さっきも言いましたけど珠洲での原発立地について真っ先に異を唱えたのがこの下間だったんです。」

「立場が違うもん同士、直接会ってどこかで妥協点を見出そうとするのは当たり前のことやと思うけどな。」

「ですがその一ヶ月後に長尾が殺された。この二人の関係性。事件に関係ありませんかね。」

片倉は黙って黒田を見た。腕を組み眉間にシワを寄せて難しそうな表情をしている。そこにオーダーストップの案内をしに給仕がやって来た。片倉はもう一杯欲しいと言い、黒田にもお代わりをもって来てくれと依頼した。黒田は片倉の図らいに謝意を示した。

「俺は新聞からの出向組ですから、何かしら時々抜かないと形見も狭いですからね。」

「すまん。どうもサツを辞めてから勘っちゅうもんが鈍ってしまってな。わりぇけど力になれん。」

黒田は無念な表情を見せて、再びタバコに火をつけた。

「わかりました。片倉さん。じゃあこういうのどうでしょう。」

「なんや。」

「今回の金沢港のことがダメなら、熨子山のことをもっと教えて下さい。」

片倉はため息を付いた。黒田の求めに応じて折あらば情報を提供していたはずだと言った。

「あの事件にはこの世に出ていない複雑な人間関係が潜んでいます。世間一般には村上隆二という男が残留孤児3世である鍋島惇を巧みに利用し、一色貴紀を猟奇殺人者に仕立てあげ、高校の同期連中を巻き込んだ複雑殺人事件となっています。その人間関係の複雑さゆえマスコミもあんまり追いかけなかった。その後の検察捜査によって本多やマルホン建設や仁熊会などの不正事件の方がクローズアップされて、熨子山連続殺人事件そのものは結局、有耶無耶。でもね。それだけで終われないのがこの事件なんでしょ。」

片倉は黙ったまま目を瞑っている。

「ツヴァイスタンが背後に見える。」

「…ツヴァイスタンね。」

「俺はそう見ているんですよ。別にとくダネ抜いて出世したいとかじゃないんですよ。とにかく当時の事件の真相を知りたいんです。そのためには情報が必要だ。」

片倉は再びタバコに火をつけた。

「何遍も聞くけど、お前何であの事件にそこまで突っ込むんや。」

「兎に角真実を知りたいんです。マスコミでは報道することができない真実を世に出したいんです。」

「ふーっ。真実って何や。」

「ありのままの姿です。事実の集合体です。」

「それを世に知らしめて何になる。」

「分かりません。真実の価値は世論が決定します。我々は情報の価値を創るわけではない。そのソースを提供するだけです。」

「そんな不確かな結末しか無いものに過去の捜査情報を流せってのか。」

「はい。」

片倉はため息をついた。

「お前も物好きだね。」

黒田はニヤリと笑った。

「片倉さんこそ、自分みたいな変な記者の話を聞いてくれる時点で相当のもんですよ。」

「ほんまごとやろ。」

「ばれましたか。」

黒田は頭を掻き、少し照れ臭そうな表情を見せた。

「確かにインターネットってのは民主的な言論空間や。そこで正々堂々自分が調べ上げた真実を書き連ね、その評価を仰ぐってのは正に正面突破。けどな世間の大多数はあすこの情報を眉唾もんやと思っとる。」

「俺はマスコミっていうバイアスを消し去った情報の集合体が、最終的にどういう評価を下されるかだけを見たいんです。肯定的、否定的、はたまた無視。どれでもいい。それが世間の私に対する評価そのものですから。」

片倉から何かの情報を得ようと食らいついてくる黒田であるが、彼には得られた情報をネタに成り上がろうという功名心は微塵もない。片倉からの情報は一切電波に乗せられるということは無かった。あくまでも彼が運用するブログにのみ掲載されている。片倉は黒田が言う民主的な報道という実験を買って、彼に情報を流していた。

「で、あのブログの反応はどうなんや。」

「PVは結構ありますよ。でも個人でやっているんでなかなか話題にはなりません。」

「信憑性か。」

「いや多分情報が不足しているんでしょう。」

片倉は時計を見た。時刻は20時45分。そろそろ切り上げて自宅に帰らなければならない。

「熨子山の情報をもっとください。」

「具体的には。」

「山県有恒。」

二人の間に沈黙が流れた。片倉は店の天井を見つめて何やら考え事をしている。そしてポケットの中から先ほど野本から渡されたメモの切れ端を取り出して、そこに目を落とした。瞬間、先ほどから考え事をし、常にへの字であった口元が緩んだ。

「わかった。明日にでも渡す。」

「宜しくおねがいします。」

「お前はなかなか優秀だよ。」

「え?」

「これからもよろしく頼むよ。な。」

片倉が手にする紙には「下間芳夫(しもつまよしふ) 中国経由ツヴァイスタン 10年前」と書いていあった。