第四話

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第四話
五の線2 第四話
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コミュの会場である金沢駅近くの会館1階のロビーに多くの男女が集まっていた。学生ばかりを集めた集いかと相馬は思っていたが、制服を着た高校生らしき男女もいるし、スーツ姿の男性、30から40代と思われる女性といった姿も見受けられた80名程度いる彼ら彼女らは各々、何かしらの知り合いのようで笑顔で会話をしている。しかしどこか皆地味だ。世間一般ではおとなしい人と言われる部類の者ばかり。その中で相馬と長谷部は浮いていた。相馬は携帯の時計を見た。時刻は19時40分だった。

「おい20時からやろ。まだ開場せんがんか。」

「そうやなぁ。」

「岩崎さんは?」

「さっきから探しとるんやけど見当たらん。」

長谷部は周囲にどういった連中がいるかということは全く興味なさそうに、とにかくひたすらに彼女の姿を探していた。

「みなさん。」

大きな声が天から降ってきた。

二人が吹き抜けの天井に視線をやると、丸メガネをかけた30代後半のほっそりとした男が階下のこちらを見下ろしていた。すると周囲にいた者達が口々にこう呟いた。

「インチョウ。」

彼らは口々にこの単語を発し、その男を羨望の眼差しで眺めた。

「何や、医者か何かか、あいつ。」

「どっかの偉いさんかな。」

相馬と長谷部はことを掴みきれない様子で、とりあえず周囲の人間と同じように振る舞った

80名程度の人間たちは丸メガネの言うとおりに動き始めた。皆なにやらにこやかな表情である。

「長谷部。」

「相馬。」

「これヤバいやつじゃねぇか。」

「お前もそう思うか。」

「セミナーとかなんかじゃねえがん。」

「岩崎さんもおらんみたいやし、ここは退却しようぜ。」

「そうやな。」

踵を返して群衆とは反対の方へ足を踏み出した時、階上から再び声がかけられた。

「君たち!!」

二人は足を止めた。

階上の丸メガネの男は急ぎ足でこちらの方へ向かってきた。

「ヤバい。長谷部。消えるぞ。」

「お、おう。」

長谷部が逃走に少しの戸惑いを見せたのため、初動が遅れた。気が付くと丸メガネは二人のすぐ側に立っていた。なんという素早い動きだろうか。

階上に見えた丸メガネの姿は色白く、やせ細った男という印象だったが、間近に見る彼の姿はそれとは対極の非常にがっしりとした体つきであった。彼は紺のシャツを着ている。第一ボタンだけを外した状態でその体つきが判別できるほど、彼の胸板は厚く、腕周りは太かった。遠目からぱっと見ですぐに巻けるひょろっとしたもやし風の男と判断した相馬だったが、間近で予想とは真逆の圧倒的な体格を見せつけられて怯んだ。

「僕らは如何なる人間も拒まない。君らは何かを得るためにここに来たんだろう。」

「別にそんなんじゃ無いですよ。」

「これから皆でひとつのテーマについて議論するんだ。どうだい。参加しろとは言わない。外から眺める程度でいいから、見学して行かないか。」

相馬と長谷部は見合った。

「どうする?」

長谷部は決断を相馬に委ねようとした。

「何だよ。俺が決めるのか?」

「ははは。まぁいい。おそらく君らには僕らは何かの新興宗教団体のようにでも見えてるんだろう。気が進めばくればいいし、そうでなければこのまま帰ってもいいさ。」

そう言うと丸メガネはポケットを弄った。

「あれ?しまった…名刺どこやったかな…。」

「インチョウ。」

丸メガネを呼ぶ声が聞こえた。

「みんな待ってますよ。」

「あ。」

声の先を見た相馬と長谷部は目を丸くした。

「岩崎さん。」

丸メガネの後ろに立っている岩崎は2人を黙ってしばらく見た。

「…えっと…。ひょっとして…。」

「あ、ああ法学部の相馬です。」

岩崎目当ての当の本人、長谷部は突然の出逢いに戸惑いを隠せない様子であった。普段はどんな女子にも気軽に声をかけることができる彼は恋心を寄せる対象を前に言葉が出ないでいた。

「おい。長谷部。」

そう言って相馬が彼を小突くとようやく長谷部は名を名乗った。

「何だ岩崎くんの知り合いか。」

突然の出会いに動揺していたのは相馬と長谷部だけではない。岩崎も同様である。彼女は丸メガネの問いかけに頷いて返事をした。

「インチョウ。時間ですよ。」

そう言って岩崎は2階の会場へ消えて行った。

「まぁ良かったら来なよ。」

丸メガネはそう言い残して一段飛ばしで階段を駆け上がっていった。

「…どうする。」

長谷部は呟いた。そこには実に惚けた表情の長谷部があった。それを見て相馬は右手で頭を抱えた。

「だから、俺に何でもかんでも委任すんな。」

地味目の人間ばかりが集う会合。会合の内容は詳しくは知らないが、ウェブサイトを見る限り、世の中の諸々について議論し、様々な考え方をシェアするそうだ。一体何を議論すると言うのか。運営側と思われる丸メガネはインチョウとか呼ばれている。まさかそんな変わった呼び方が奴本名なんてことはあるまい。役職とか肩書きめいたものなんだろう。さっきまで岩崎の姿は見えなかった。その彼女がインチョウを呼びに来た。岩崎は運営側の人間か。何しろ胡散臭さ満開。丸メガネは新興宗教団体じゃないとか言っていたが、この手の自己啓発セミナーとかはよくある。「相馬。お前、気がすすまんがやったら俺だけ行ってくるわ。」

長谷部は相馬に背を向けた。

「待て。」

「何や。」

「見るだけにしとけ。見るだけやったら俺も行く。」

何の免疫もない人間がこの手の会合に飛び込むと、集団催眠のようなものにかかってしまうかもしれない。丸メガネは見学だけでもいいと言っている。何事も客観的に観察してから、そこに身を預けるべきだ。そう相馬は長谷部に言った。

「岩崎さんはいつでも学校で会えるやろ。一応今、接点を持ったんや。今日は様子だけ見ようや。」

一度決めたら即行動の長谷部であったが、彼も相馬と同じくこのコミュという集団の雰囲気に不安を抱いていたようで、相馬の意見に従うことにした。

 

 

「ああ?帰りに?」

金沢銀行本店にある融資部の前で電話をしている橘とばったり遭遇した。

「あー、そっか。ほうやなぁ。わかった。今日は真っ直ぐ帰るわ。」

そう言って彼は電話を切った。

「どうしたんですか副部長。」

「おう、佐竹。キリコや。」

「キリコ?」

「ほら、明日から盆やろ。カミさんが買って来いって。」

金沢特有の盆景色として墓場に吊り下げられたキリコたちの姿がある。キリコとは木で作られた骨組みに障子紙のようなものを貼り付けた、箱型のものである。その紙の正面の部分には南無阿弥陀佛とか南無妙法蓮華経と印刷され、側面に墓参りに訪れた者の名前を記載して使用する。キリコを墓の近くに張り巡らされた縄に括り付け、墓参りに来たとの証を立てるのである。箱キリコの内部にはろうそくを立てる釘が付けられており、日没後、それらの明かりが墓地をぼんやりと照らす様はどこか幻想的でもある。近年はこの箱キリコの処分が大変でコストもかかるとの声もあり、形を板状のものに変えたものが多く出回っているが、それらは情緒に欠ける。

金沢の盆は新盆と旧盆に分かれている。住む地域によってそれが異なっているが殆どが7月13日から15日に盆参りをする習慣がある。所謂新盆と言う奴だ。石川県でもこれは金沢特有の習慣のようで、金沢を除く加賀地方や能登といった地域は世間一般の旧盆参りが通常である。

佐竹は胸元から取り出した携帯に目を落とした。今日は7月11日金曜日。平日仕事のサラリーマンはこの週末に墓参りをせねばなるまい。仕事に追われる中で、つい見失ってしまいそうな日本人としての習慣に気づかされた。

「副部長はどちらのお墓に?」

「ああ、俺は森山の寺に墓があるんや。カミさんは大聖寺の出やから、それは8月の盆の時に行く。」

「…俺も週末、行ってきますよ。」

佐竹はどこか物寂しげな表情を見せた。

「そうやったな…。」

「俺にはそれくらいしかできませんからね。」

熨子山連続殺人事件から3年半。佐竹は金沢銀行総務部付きとなっていた。あの事件以来、佐竹は精神状態が不安定になることがあり、それを案じた山県が上層部に働きかけて総務部に異動となった。不特定多数の人間と接することが佐竹の負担となるとの医者の診断結果を受けてのものだった。佐竹は総務部で情報セキュリティの現場責任者となっていた。肩書は金沢銀行総務部情報管理課課長である。

事件当時、駅前支店の支店長だった山県はマルホン建設の立て直しの功績を買われ、現在は取締役経営企画部部長となり、彼を影で支えていた次長の橘は融資部の副部長に抜擢されていた。3年も経てば組織の姿形はずいぶんと変わる。頭取の前田平八郎は未だに健在であるが、本多慶喜の急逝によって空席になった専務取締役には加賀京三が、常務取締役には当時融資部長だった小堀が座っていた。

「あ!!」

橘が大きな声を上げた。そして額をぴしゃりと叩いてバツが悪そうな表情を見せた。

「どうしました。」

「釣りやった…。」

「またですか。」

佐竹は呆れ顔で橘を見た。橘は大の釣り好きで、金沢銀行釣り同好会の会長でもある。

釣りの事になると橘は止まらない。下手に何かを質問しようものなら、聞かされたくない話が延々と続くハメになる。佐竹は話題を逸らした。

「で、どうするんですか。墓参り。」

橘は憮然とした表情となった。

「行くわいや。けど夜釣りの後の墓参りってのも結構キツイなぁ。」

「気をつけて行ってくださいよ。」

「ああ。お前も来るか?」

「え?」

「たまには彼女と一緒にアウトドアライフってのもいいんじゃないか。」

「アウトドアって…副部長は釣り一本じゃないですか。」

「釣りはやっぱり興味ないか。」

「うーん。」

「お前がウチに入れば同好会から部に昇格するんや。ほしたらほら。」

橘は人差し指と親指で輪をつくって見せた。

「先立つものも必要やろ。」

「俺は金づるですか。」

いくら時間外であるといっても、これ以上の雑談は慎まねばならない。そう思った佐竹は橘に考えるとだけ言って自室へと戻った。

自分の島のとなりを見るとそこには書類の山があった。各店から送られてきた新規口座開設の申込書の束である。本人確認書のコピーと捺印された申込書。書類の不備などがないかをチェックするわけだ。この時期はボーナス時期ということもあり、金沢銀行挙げての定期預金獲得キャンペーンが行われている。佐竹の隣の島の事務管理課はキャンペーンによって普段より多くなったその手の書類を処理することが仕事だ。しかし事務管理課の連中はみな帰ってしまっていた。取引先であるホテルのビアガーデンに皆で行ってしまったからだ。何でも本店営業部からのたっての頼みということらしい。重要な融資案件があり、それを何としても獲得したいということで本店営業部部長直々に総務部へお願いに来ていたのである。そこで部内でも一番所帯が大きい事務管理課にその矛先が向けられ動員させられたというわけだ。よって20時を回った週末の総務部内は佐竹を除いて誰もいない状態だった。

「俺も帰るかな…。」

そう自分に言い聞かせるように呟いた時である、静まり返っている情報管理課の複合機が作動した。佐竹はその様子を無視し、机の上をひと通り整理して帰る準備をし始めた。

ー盆か…。俺も帰りにキリコでも買って帰るか。

重要書類をキャビネットにしまい、それに鍵をかけた。そして課内をひと通り見渡して最後に複合機の様子を確認した。

ーどうせファックスDMか何かだろう。

佐竹は複合機のトレーに重なっている受信用紙を取り出して、それらに目を通した。彼の予想通り、その手のファックスばかりであった。

夕方あたりになるとどこでここのFAX番号を知り得たのか、いろいろな業者からさまざまな勧誘のファックスDMが送られてくる。管理職セミナーとか、接遇マナー教えますとか、コンプライアンス・オフィサー養成とか、専門書販売とかである。昔ほどではないが今でもこの古典的なプロモーション活動は健在だ。郵送よりもコストが低いため、今でも有効な手段かもしれない。しかしファックスは発信者のみならず受信者も費用を負担することになる。紙代・インク代までも受信者が負担せねばならない。欲しくもない情報を送りつけ尚且つお金も飛んで行く。考えようによっては随分と傲慢な宣伝方法だ。こんな不躾なプロモーション活動はすぐにでも止めてもらいたいものだ。

「あれ?」

一枚の用紙に佐竹は目をとめた。

「警察からだ。」

警察からの捜査関係事項照会書である。そこには至急と記載されている。彼は本文を読み最後に書かれている照会事項に目をやった。

「コンドウサトミ?」

佐竹は苦い顔をした。折角片付けも終わって帰宅しようと思っていたのに、それを遮るように警察からのファックスである。この手の照会への対応は事務管理課から総務部長へ上げられそこで回答をすることとなっている。しかし週末この時間の総務部には事務管理課の人間はおろか総務部長の小松も次長の松任も誰もいない。

「残念でした。店じまい。」

佐竹は手にしていたファックスを複合機の排出トレーにそっと戻し、課の電気を消して家路についた。