第三話

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第三話
五の線2 第三話
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図書館閉館のアナウンスが流れ、彼はそそくさと机の上に広げたパソコンや書籍類を片付けた。外に出た彼はキャンパス内に設置してある自動販売機で缶ジュースを買い、そのまま帰宅するわけでもなく再び学部棟へと足を進めた。

「おう。相馬。」

学部棟の外に設置された灰皿の前に佇む、一人の男が声をかけて来た。ジーンズにボーダーのTシャツ。鞄を地面に雑然と置き、咥える煙草の灰を風で巻き上げないように、半透明の下敷きで自分を器用に仰いでいる。

「あちぃな。」

「あちぃげんに、あちぃところでよく煙草なんか吸うな。」

「うっせえわ。吸いたいから吸っとるだけや。」

相馬はやれやれといった表情で缶ジュースの蓋を開けた。そしてそれに口をつけた。相馬の前で煙草を吸っているこの男の名は長谷部俊一。移ろいやすい心の持ち主で朝令暮改と言う言葉がそのまま当てはまるような男である。

石川大学では入学時、全学生が能登の宿泊施設で合宿をする恒例行事がある。ここに向かう道中のバスの中で偶然相馬の隣に座ったのが彼だった。第一印象は熱い男。こちらが聞いてもいないのに、自分の主義主張を憚ることなく語る彼の様を見て、相馬はどこか惹かれた。自分は石川の国立大を出て、県庁に入り、石川の未来をこの手で作り上げる。入学当初から長谷部はそう相馬に決意を表明していた。大学生活が始まると同時に自分の目指すものが確固としてある長谷部の姿に相馬は圧倒されもした。ところが、合宿を経て学生生活にも慣れてきた頃に、長谷部は相馬にこう言った。世の中カネ。俺は起業すると。入学当初掲げていた地方官僚として自分の命を地域に捧げるという思想は何処かに飛んだ。長谷部は間もなくネットワークビジネスに手を出した。相馬にもこれを始めるよう勧めた。この手のうまい話には必ず裏があると言って、相馬は彼を止めたが、結果それは聞き入れられず、長谷部は多くの在庫を抱えて失敗する。親に泣きついてそれらの商品を買い取ってもらい、尻を拭ってもらったのである。

早くに経済的に躓いたため、その後の長谷部は金銭面で誰彼に迷惑をかけることはなかったが、変節ぶりが目立った。女性にモテるためにファッションに拘ったり、世のため人のためと称してボランティアサークルに入ったり、学生時代に何人の女性と性交渉ができるかということを誰かと競ってみたり、車を改造してみたり、小説家を志してみたりと定まりがない生き方をしている。

つい最近までは煙草を吸う奴なんかは社会のゴミだ。などと喫煙者を蔑視していたのだが、学内に設けられた喫煙所に時々いる女性がどうにも気に入ったようで、彼女に近づくために煙草を吸うようになったのである。変節ぶりが目立つ長谷部であるが、見方を変えれば凄まじいまでの行動力ともいえる。相馬は彼の行動力を評価し、今日まで友人として彼と付き合ってきていた。

「もう帰るんか。」

「あーどうすっかなぁ。」

「岩崎さんとは少しは話せるようになったん?」

長谷部はニヤリと笑って煙草の火を消した。

「マジか‼」

「まだ。」

「え?」

相馬は肩を空かされた。

「あのねぇ。なんちゅうかなぁ…。その、あれ…。」

「なんねんて。はっきり言えま。」

長谷部はスマホを取り出して、あるサイトを表示させてそれを相馬に渡した。

「何やこれ…。コミュ…?」

「そうコミュ。」

「何なん。聞いたことねぇわ。」

「俺も初めて知った。何か世の中諸々について色々議論するサークルらしい。」

「おいおい、また変なもんに手ェ出すんじゃねぇやろな。」

ネットワークビジネスを初め、様々なことに手を出してきた長谷部である。この相馬の心配は至極当たり前のことだ。長谷部は頭を掻いて相馬に答えた。

「だら、このコミュってやつに岩崎さんも行っとるらしいげんて。」

「岩崎さんが?」

岩崎とは長谷部が最近ご執心の女性のことである。目鼻立ちがくっきりとした今時の容姿をもつ彼女の美貌は学内でも有名であった。こんな女性を男達が放っておくわけがない。数多の男性が彼女を手に入れようと突撃を敢行した。しかしそれらの者たちはあえなく全滅。それがため、岩崎は松尾芭蕉の句にある夏草そのものと称された。学内の男連中を虜にする美貌を持ちながらも、何故ここまでモテる彼女が男と関わりを持たないのか。それが石川大学の男連中に妄想を想起させた。

「岩崎は百合である。」

その噂を検証するために、長谷部は岩崎と接点を持つ女性を当たった。しかし学内の女子は皆、何も知らないと言うのである。岩崎は友達がいない孤独な女性であるということが分かった。男にも女にも興味を示さない美しい容姿をもつ女性。しかしその美しさを鼻にかけて皆を見下すわけでもなく、むしろ自分の美貌を消すかのように地味目な服装を纏い、時代の風潮に超然としている。群れることを避け、人気のない喫煙所で時折煙草を吸う彼女の姿が、長谷部にとって妙に惹かれるのであった。

「この間、喫煙所であの子がSNSでやり取りしとるのを、ちょっと離れたところから覗き込んだんや。ほしたらそこのタイムラインに今度のコミュで会おうとか書いてあったんや。」

「お前、ストーカーかいや…。」

長谷部の発言に引いてしまった。しかし、人と接することを避ける彼女が積極的に誰かとコンタクトをとっている。その事実が岩崎に対する好奇心を相馬にも抱かせたのである。

「相馬。そこの行事予定のとこ見てみ。」

相馬はその箇所をタップした。

「今日の8時やじ。」

スマホの上部に表示される現在時刻は18時40分である。あと一時間ちょっとでコミュとかいう団体の定例行事が始まるようだ。

「ちょっとそこに潜り込んでこようと思うげん。」

「いきなり?」

長谷部は頷く。

「偶然を装って、彼女に近づいてみようと思うんや。」

「何ねんて、普通に話してみればいいがいや。」

「だら、おまえ人を好きになったことねぇげんろ。ほんなホイホイって声なんかかけられんわ。」一時は何人の女を手玉に取ることができるかと競うように活動していた長谷部のことを相馬は知っているため、このような彼の殊勝な言葉を耳にして驚きを禁じ得なかった。

「本気か。」

「そうかもな。」

ころころと自分の主義主張を変え、心の歪みを感じ取れる長谷部であるが、容姿は1本筋が通った非常に整ったものである。誰に似ているかと言われても形容しがたい。所謂日本人ばなれした顔つきなのだ。南米ラテン系のハンサムボーイといったところか。目鼻立ちがくっきりし、彫りも深い。高校までは野球をしていたこともあり、体つきもしっかりしている。変節漢という中身の部分はさておき、行動力があり容姿端麗、しかも地元のエリート大学生。こんな好条件を揃えれば女に不自由するわけがない。全てに対して有利に事を運ぶことができそうである。しかしそんな彼をしても声をかけるのが憚られる存在として、岩崎がいるようなのである。

「どうけ。お前も来んけ。」

「俺も?」

「やっぱりアウェーってのは、俺もちょっとビビってしまうからな。気心知れたお前がおってくれたらちょっと安心ねんて。」

「ほんなこと言って、岩崎さんとちょっとでも喋れたら俺をほったらかして、ふたりでどっかに行ってしまうげんろ。」

長谷部はバツが悪い表情をして、自分の頭をポンっと叩いた。

「いいよ。行くよ。」

「え?」

「今日も明日もバイトはないからお前に付き合ってやるわ。」

「マジか!!」

「その代わり条件がある。」

「何や。」

嬉々とした表情であった長谷部だったが、ここで眉間にシワを寄せた。

「もしもヤバイ雰囲気があったらすぐに引き上げる。」