第二話

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五の線2 第二話
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マルホン建設工業株式会社はドットメディカルとの業務提携を契機に、その業況は著しく回復していた。提携から3年半。今では老人福祉施設建設のパイオニア的存在として、各種メディアに取り上げられるほどの成長ぶりである。社長の本多善昌は窓から見える金沢の町並みに目をやった。市街地の所々にマルホン建設が手がけた福祉施設のビルが見えた。彼はそれらを見てため息をついた。内線電話が鳴ったため彼はそれに出た。

「なんだ。」

「今川様がお越しです。」

「お通ししろ。」

受話器を置いた善昌はまたもため息をついた。今度は先程とは比べものにならないくらいの深いため息だった。しばらくして社長室の扉は開かれた。そこには七三分けで銀縁のメガネをかけ、仕立ての良い夏物のスーツを着た男が立っている。白髪交じりの口ひげとあごひげを蓄えているため、年齢はぱっと見判別しない。彼は善昌に向かって一礼し社長席の前に配された応接ソファに腰を掛けた。

「社長。そろそろ結論がほしいんです。」

善昌は彼と向かい合ってソファに腰をかけた。

「どうです。今こそ盤石な体勢を築く時だと思いませんか。」

「今川さん。確かに今こそ我が社は大量の資金が必要だ。しかし…」

「はははは。社長。時代の流れは早い。私が担当するICT関係なんかは特にです。ドッグイヤーと言いましてね。ご存知でしょう。」

ドッグイヤーとは文字通り犬の一年である。犬の一年は人間の7年に相当することから、特に技術革新が急伸する情報産業の世界では、その進展ぶりを表現するために使用される俗語となっている。

「今の時代、ICTと結びつかない産業なんぞ存在しません。すべての業務の根幹は情報です。情報を制したものが勝者となる。」

マルホン建設は今、IPO(initial public offering)をするようにドットメディカルに働きかけられていた。※IPO=未上場の会社株式を上場することにより売買できるようにすること

「世界をご覧なさい。世界経済をリードしているのはどの業界ですか。そうですICTに関わる業界です。あすこが実験的な取り組みをし、それを実用化し、既存産業がそれに乗っかる。そういった構造で世界経済は発展を続けています。それは何故でしょうか。そうです。挑戦的でクリエィティブだからです。御社は公共事業主体の建設という衰退産業と言われる分野でありながら医療福祉という成長分野をうまくミックスし、事業拡大をしてきた。非常にクリエイティブで価値ある試みです。御社のような挑戦的企業に投資をしたいと願う市場関係者はたくさんいることでしょう。彼らのニーズに沿って行動するということは、後ろめたいことは何もありませんよ。」

「今川さん。確かにIPOによって巨額の資金がウチに入ってくる。キャピタルゲインも期待できる。そうなればウチにとって悪いことはないのかもしれない。」

「そうですよ。お分かりじゃないですか。情報産業のベンチャーの中にはIPOをゴールにすらしている奴もいる。公開によって会社を売却し、創業者達は一旦リタイヤするもよし、手にした資産を有効活用して後進の人間に投資したり新たなビジネスを創造するもよい。」

「私はその欧米の経済思想が正直気に入らんのです。」

「ほう。」

今川はあごひげを撫でて、善昌の瞳を見つめた。

「事業拡大のための資金が必要だ。それはそうです。そのために手っ取り早い方法はあなたがおっしゃる方法なんでしょう。しかし私はその先がどうも引っかかる。」

「今川さん。あなたたちの目的はウチの買収なんでしょう。公開された株式は誰これ構わず買い付けることができる。おたくがウチを子会社化し、支配下に置くのはおたくの潤沢な資金を持ってすれば簡単な話。経営の合理化をさらに進めて、労働者を減らし、コストを削減し利益の最大化を図る。結果良くなった業績をもってキャピタルゲインを得る。もしも業績が悪くなってきたとなれば、さっさと売り抜ける。つまり機動的に利益を得てリスクをヘッジできる方法を取りたいんでしょう。それは私としては受け入れがたい。」

今川は面白くない表情をした。

当初、善昌は虚勢を張るだけしか能のない暗愚な経営者だった。彼は金沢銀行からの融資を得るためにドットメディカルとの提携話を受け入れた。当初は単なる業務提携だったが、次第にその姿は変わっていった。株主である叔父の慶喜が死に、逮捕拘留中の父、善幸は裁判で何かと金が必要であるところから、その株をドットメディカルに売却した。そうすることでドットメディカルのマルホン建設における資本は3割を占めるまでになっていた。

業務面でも資本面でもマルホン建設で存在感を示すドットメディカルは、経営にも口を挟むようになってきていた。1年前にはドットメディカルの子会社が開発する業務支援システムを導入し、経営の合理化を進めるよう要求してきた。善昌は当初反対したが、資本力のあるドットメディカルの言い分を無視するわけにもいかず、結果としてそれを受け入れ、人員も削減していた。

「またそれですか。利益の最大化を図るのが株式会社の使命でしょう。」

「結果としての利益なら私は文句を言いません。しかしあなたがおっしゃる利益の最大化はあくまでもテクニカルな話です。本業の革新とか発明によって得られる利益でない。そういったものは短期で潰えるもんです。」

父の善幸が政治の舞台から失脚し、叔父の慶喜が自殺してからというもの、善昌に浴びせられる世間の視線は冷たいものだった。華麗なる一族の不正による転落。税金を食い物にした逆賊とさえ罵られた。社員も世間同様手のひらを返したように善昌と接した。善昌は善幸と慶喜たちの不正を知り得なかった。しかし世間はそう見ない。本多一族としてしか見ない。善昌は頼るものを失った。そこで救いの手を差し伸べたのが駅前支店長の山県だった。山県は経営の何たるかを善昌に教えた。「唯一素直」と山県が評したように、善昌の飲み込みは早かった。彼は3年半の歳月を経て、経営者として自分の明確なビジョンを持ち、成長をしていたのである。

「経営者たるもの社員の生活維持向上に努めなければならい。社長。相変わらず古い考えですね。」

「ダメですか。」

今川は首を振った。

「いいえ。大事なことですよ。」

「しかしです。仮に公開することによって資産規模が増え、更に大きなビジネスをすることができるとなれば、それは結果として賃金の上昇や雇用の拡大という点で社員の生活向上に寄与するのではないでしょうか。」

「私はあくまでも今、マルホン建設で働いてくれている社員を見ています。自分からウチに愛想をつかせて去るものは止はしませんが、こちらから積極的に出て行ってくれと首を切るつもりはありません。」

「なんですか。まるで我々が御社にリストラしろと言っているようないい口ですな。」

「それでしょう。あなた達のやりたいことは。」

二人の話は平行線を辿った。

「ウチが3割。社長が4割ですか。」

「資本関係ですか。」

「4割を抑えればいいんですね。」

今川は不敵な笑みを浮かべて善昌を見つめた。

 

 

「コンドウサトミ?」

「ええ。」

「その名前は聞いたことがある。」

「そうでしょう。熨子山連続殺人事件にも登場した架空の人物です。」

「ああそうだ。それだ。その人物がどうした。」

「先日、とある傷害事件がありまして。」

「傷害?」

「男が刺されたんです。夜の木倉町です。刺した方も刺された方も面識なし。酒もクスリもなし。お互い全く素の状態。」

「変だな。」

「そこで得られた供述に気になることがありまして。」

『なんでこんなことやったんや。』

『しらんわいや。』

『しらんで人刺すか?』

『しらん。』

『誰かに頼まれたんか。』

『しらん。』

『じゃあお前が思いつきで刺したんやな。』

『しらん。』

『わかった。お前がやったんや。それでいいな。』

『しらん。』

『お前が刺した相手はさっき死んだ。』

『え?』

『お前が殺したんや。』

『ちょ、ちょっとまってくれま。』

『何を待つ。』

『お、おれは何もやっとらん。』

『は?おまえ何言っとれんて。ナイフにはお前の指紋。誰がどう見てもお前の仕業や。』

『違う。俺じゃない。』

『ちょっと待て。お前じゃなけりゃ誰ねんて。』

『こ、近藤や。』

『コンドウ?』

『あ、ああ。コンドウサトミや。』

『コンドウサトミ?なんや女か。』

『いや男や。』

『じゃあなんでお前の指紋がナイフについとるんや。ってかお前の指紋しかついとらんげんぞ。』

『おれはそれに指紋をつけただけや。やったのは近藤や。』

片倉はICレコーダを止めた。

「死んだ?」

「すいません。カマかけました。」

警備部長の土岐は黙って片倉の目を見るだけだった。しばらくの間をおいて彼は口を開いた。

「コンドウは。」

片倉に訪ねたが、彼はそれに対して首を振るだけだった。ため息をついて土岐はかけていた眼鏡を外した。

「刺した男は。」

「生活保護受給者です。」

「またか…。」

土岐は両目の付け根を摘まんだ。

「連発しています。」

「そうだな。」

片倉の前に土岐はファイリングされた書物を突き出した。

「ツヴァイスタンの工作活動が活発化している。」

「ツヴァイスタンですか。」

「経済格差が広がりつつある社会を背景に、あいつらは経済的強者と弱者を分断する工作をしている。昨今、全国的に頻発している弱者による犯罪の背景にはツヴァイスタンの影が見え隠れしているとの報告だ。」

片倉は書類に目を通した。題名は「ツヴァイスタン国による我が国の分断工作活動について」。「経済的な弱者と強者との間に溝を作り、その双方に巧みに肩入れすることで我が国の国論を分断せしめる工作活動ですか。」

土岐は片倉の言葉に頷く。

「そうだ。わが国は多数派が国の舵を取る民主国家だ。戦後から続いた民政党の長期政権時は中産階級が多数派だった。しかし政友党が政権党となってからというもの、経済政策は停滞し、デフレに一掃の拍車がかかった。そのため経済格差は拡大し、富める者はますます富み、貧しき者はますます貧しくなる。誰もが中流の生活を営む世の中なんてもんはすでに消えた。」

「競争に負けた弱者にはセーフティネットが必要です。再就職に支援なのか、生活保護なのかは知りませんが、放ったらかしにはできません。あいつらはそこにつけ込んで工作する。弱者救済の名の下で変な活動家を差し向け、一方、強者にはあんな下層の連中の言うことは黙殺していればいいと、様々な方法で働きかける。」

片倉は目を通していた書類を畳みため息をついた。

「察庁からこんな種類が降りてくるってことは、それだけ事は急を要するってことだ。」

「それならそうで、さっさとこんな不逞な輩を取り締まる法案を成立させて欲しいもんですな。

「そうだな。」

土岐は手元のキーボードを叩いた。

「そんな中に3年の時を経て架空の人物コンドウサトミが登場か…。」

「熨子山連続殺人事件の犯人は残留孤児三世とその支援者によるもの。」

エンターキーを軽く叩いて土岐は考え込んだ。

「何かのメッセージとして受け止めるべきか。」

土岐の表情は終始変化を見せない。感情というものを何処かに捨て去ったようにも思えるほどである。ただ彼の口が動き、恐ろしいまでの鋭さを持つ視線を片倉に向けていた。

「煽動家らしき人物を早急に特定します。」

「早くしろ。」

「既に強力なS(エス)に声をかけてあります。」