第一話

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五の線2 第一話
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本日の分の講義を受け終わった相馬周はいつものように、放課後の図書館に足を進めていた。週末夕方4時半のこの時刻でも、自分に刺す日差しは強烈である。政経学部がある学部棟から外に出た瞬間、纏わりつくような熱気が覆い彼はたまらなくなって声を発した。

「やべぇ。あちぃ。」

相馬の足取りは急に重くなった。ずるずると引きずるように足を進めた。この暑さは一時的なものだ。図書館まで行けば万全の空調設備によって奏でられる高原の風が、再び我が身を癒してくれる。相馬は手にしていたペットボトルに口をつけた。

図書館入ってすぐの学籍ID認証のためのICリーダーに自分の学生証をかざして、彼は定位置である3階の窓際にかばんを置いた。そしてそこから下敷きを取り出してうちわ代わりにして、自分を仰いだ。吹き出していた汗が徐々に引いていくのがわかった。そして彼は新聞のバックナンバーが保管されている書架の前に立ち、そこから何部かを取り出した。

「このあたりかな。」

周はそれらを机の上に広げた。

日付は2年前の4月初旬のものである。彼は一面を飾る記事には目もくれず、地元経済の記事が書かれている箇所だけに目を通した。何部目かに周の動きが止まった。

「これか。」

周は一人の人物の名前を指でなぞった。

「山県有恒。駅前支店支店長から経営企画部部長。」

開かれた彼のノートには人物相関図のようなものが書かれていた。中心には村上隆二が配され、そこから放射状に人名が広がっている。

村上隆二、本多善幸、本多慶喜、一色貴紀、熊崎仁。この五人の情報を知りうる限り書き記された空白のところに山県の名前が追加された。

「関係人物がひとり追加されただけか…。」

相馬はノートを閉じてため息をついた。

「どれだけ資料を調べても、俺一人ができる情報収集はこれくらいか…。」

かばんの中からノート型のパソコンを取り出した周は、ブラウザを立ち上げて『熨子山連続殺人事件 真相』とキーワードを入力し検索をした。瞬時に関係する記事がズラリと表示された。そのどれもが既読である証の表示色である。彼はそれらの中からひとつのブログ記事をクリックした。

記事のタイトルは「複雑怪奇な事件の裏側 1」。ブログ名は「ほんまごと」である。

 

12月20日未明から発生した連続殺人事件は、容疑者死亡によってその捜査の幕を下ろした。容疑者は大物国会議員の選挙区担当秘書である村上隆二(36)。事件発生当時に県警によって発表された容疑者一色貴紀(36)は既に死亡しており、県警の初動捜査の不備が事件の混乱を招いたとされているが、その内情はそう簡単なものではないらしい。

 

ー前例なき警察官僚の権力闘争ー

ドラマなどで本庁と現場の軋轢を描いたものがあるが、それは演出によるものが多い。それらは

フィクションであるが意外なことにこの県警においてはそのフィクションがそのまま捜査本部に持ち込まれた。捜査本部設置の12月20日に警察庁から捜査班が県警に送り込まれる。警察庁は本来各都道府県の警察組織を管理監督する立場であり、捜査そのものの陣頭指揮をとることはあまりない。しかし、熨子山連続殺人事件では容疑者が現役警察幹部と目されていたため、捜査指揮を執ることとなったようである。

現場で捜査にあたっていたA氏は当時の様子をこう話す。

「絵に描いたような横暴な捜査官でして、現場捜査員のことを機械呼ばわりしたんです。指示があることだけをしろ。判断はするな。すべて帳場(捜査本部)の指示を仰げっていうですからね。容疑者は自分たちのボスです。それだけでこっちは混乱してるんですから、その指示は現場の士気を一気に下げることとなりました。」

警察庁(以下「察庁」と略)の捜査官は現場の刑事の長である捜査1課課長を更迭し、全権限を自分に集中させた。その強引な方法に県警本部長も口を出せない状況になっていた。

「当初から容疑者を伏せて内密に操作するように察庁からは指示が出ていたんです。ですが県警の上層部がその意に反して、さっさと容疑者を公表してしまったから、察庁組は機嫌が悪かったんです」とA氏は言う。

警察や軍といった組織では規律は最も尊重されなければならない。上意下達の意思決定システムに支障をきたしては、統率を執ることはできないのである。A氏はこうも言う。

「県警の察庁に対する反抗ですよ。察庁は我々にとって神ですから。彼らの意に沿わないことを平気でやってのけるウチ(県警)の上層部も随分と乱暴なことをするもんだと思いました。もちろん前例はありません。」

当時の警察庁長官は石田利三(53)。県警本部長は朝倉忠敏(55)だった。この二人は因縁浅からぬ関係であるのは、察庁内で有名な話である。

今から遡ること13年前。折しも国際テロの封じ込めがクローズアップされ、我が国のインテリジェンス機能の強化が叫ばれ始めていたころである。朝倉は警察庁警備局公安課課長であった。彼は現下の日本においてテロ対策の法整備が必要だと唱え、テロ対策法の立案に尽力したが、結果としてその法案は政友党をはじめとする野党連合の前に敗北を喫した。熨子山連続殺人事件の全てはここから始まっていたのである。

 

ー政治と警察官僚ー

重要法案を否決に追い込んだことで野党政友党は勢いづいたが、内閣不信任案可決に持ち込むまでには至らなかった。それも大泉内閣にはにはこれといった不祥事もスキャンダルもなかったためである。そこで野党政友党の実質的首領であった小金沢源治は民政党幹部である本多善幸のスキャンダルを表に出そうとした。

小金沢は当時、I県警本部の本部長であった石田利三と接触し、本多善幸の地元におけるインサイダー取引の疑いがあるとリークする。これを検挙すれば石田の昇進は間違いない。政友党が政権をとった暁には長官のポストを与えると甘い声をかけたのであった。だが、小金沢はここで本多の反撃に遭う。大物政治家である小金沢であっても、政権党の実力者には敵わなかった。本多は石田を自分の陣営に取り込むことに成功。逆に小金沢自身は公共工事の口利きをした罪で検挙されることとなってしまったのである。小金沢が検挙されてからまもなく、石田はトントン拍子に出世を果たし、警視総監を経て警察庁長官となったのである。石田世代の長官候補は朝倉と目されていただけに、傍目から見てあからさまな人事に疑問を持つ者も少なくなかった。警察のホープと言われていながら重要法案の成立で躓き、出世の道を閉ざされる一方、政治家に肩入れすることで出世する人間もいるわけである。

 

ーツヴァイスタンの影ー

出世の道を閉ざされた朝倉は、以降地方警察の要職を転々としていった。彼が日本海側のある都市の警察署署長を務めていた時のこと、公安課から情報がもたらされる。「ツヴァイスタン民主主義人民共和国の工作員と思われる女が、反社会勢力の仁熊会関係者と接触している」とのことだった。ツヴァイスタンは中央アジアの社会主義国家であり、日本と国交がない経済的に貧しい国家である。貧富の差が広がり国民は怨嗟の声を上げているが、政府はそれを圧政でもって押さえつけている。経済的には貧しいながらも他国間との外交交渉を有利に進めるために核兵器を保有し、尚且つ各国に工作員を送り込み、情報収集・工作活動を活発に行なっている。8年前の東京地下鉄爆破テロ未遂事件で国際テロ組織ウ・ダバのメンバーが一斉検挙されたが、そのテロ計画の背景にはツヴァイスタンの影が見え隠れしている。朝倉が成立に尽力したテロ対策法の取り締まりの主たる対象はこのツヴァイスタンによる破壊活動を防ぐためのものであったため、彼は公安課の捜査状況に神経をとがらせた。

仁熊会といえば、熨子山連続殺人事件でも有名になった金沢を拠点とする暴力団組織である。熨子山連続殺人事件の背景には田上地区開発や北陸新幹線建設にかかる用地買収の不正取引があったのは、読者の皆さんは御存知だろう。仁熊会はこれらの用地を取得し、マルホン建設と結託して不正に利益をあげていたということで現在公判中である。この仁熊会がツヴァイスタンの工作員と接触していた過去があったのである。

朝倉は仁熊会を追うため、I県警への異動願いを出す。彼がそこに赴任して明るみになった事があった。それがI県警と本多善幸、マルホン建設、金沢銀行、仁熊会の蜜月関係だった。仁熊会はツヴァイスタンの工作員と何らかの繋がりがある。そしてその仁熊会は政治経済のあらゆる方面に影響力を持つパイプを持っている。公安あがりの朝倉は、重要機密が何らかの形でツヴァイスタン側に流出するのを危惧したわけである。出世街道をひた走る石田が仁熊会を介して間接的にツヴァイスタン側との接点を持つことが明らかになったため、朝倉は彼に一定の揺さぶりをかけることができる立場となったのだった。

 

ー一色という男ー

朝倉は石田の周辺に潜む黒い人脈を一掃するために、当時の内閣官房長官波多野明正へ働きかけた。クリーン、公平、誠実をモットーとする波多野は警察OBの政治家。実務能力の高さと判断力の高さに定評がある政治家である。朝倉は警察庁長官の石田の周辺にツヴァイスタンの影が見えるため、その周辺を洗いたいと波多野に具申した。警察庁長官と海外勢力との繋がりが明るみになれば、内閣は吹っ飛ぶ。その関係性の中には同じ党内の有力議員である本多もいる。そうなれば、民政党は瓦解すらしかねない。そのことを危惧した波多野は朝倉の申し出を了承した。

その時既にI県警本部には一色貴紀捜査二課課長がいた。一色はI県警本部赴任早々、病院横領事件をきっかけに仁熊会への強制捜査を行おうとしていた。しかしそれは同時期に発生した殺人事件によって有耶無耶にされた。そのことを知った赴任直後の朝倉は彼を使って秘密裏に長官周辺を洗い始めることとなる。熨子山連続殺人事件発生前日、全てを調べあげた朝倉と一色は、波多野の密命の下、検察と協力して本多を含めた全関係者の一斉捜索を行うこととした。(波多野はこの時、官房長官ではなく公安委員長となっていた)しかしそこで、捜査の指揮を執るはずの一色が行方不明となり、彼が連続殺人事件の容疑者とされたのである。

 

ー密偵官僚ー

前代未聞の警察キャリア官僚による連続殺人事件。石田としては容疑者が身内である警察の人間であることを明らかにせずに事を収めようとしたが、朝倉はそれに先手を打った。朝倉はさっさと会見場で容疑者は一色であると公表。警察の信用は失墜した。石田はこれ以上現場に勝手な捜査をさせまいと察庁から捜査班を送り込むという異例の対応をした。しかし、この捜査班の陣頭指揮を執る人物が波多野側の人物であったことは石田は知らなかったのである。

前出のA氏はこうも言った。「当初は頭でっかちのトンデモキャリアかと思っていたんですが、どうも様子がおかしかったんですよ。」察庁の捜査官であるMは、時折捜査本部を出て何かをしているようだったと言うのである。Mは現場捜査員の数名と接触し、朝倉の指示の下で一色の代わりに捜査をしていたようなのである。

 

結果として多くの犠牲者を出すことになった熨子山連続殺人事件。その背景には記載した警察組織の権力抗争、政治との繋がり、他国のインテリジェンスの存在があった。私が調べただけでこれだけの事が出てくるのだから、この事件の裏側には我々には知り得ない多くの謎があるに違いない。私はこの事件のことを私的ではあるがさらに調べて、ここに書き記していきたいと思う。マスコミにはできない事件の真相報道。それがこのブログの存在理由でもある。

 

ー更新なしか。

何度かブラウザ上の更新ボタンを押すも、記事はそのままの状態である。

ー一体誰なんや。これ書いとんの。

ブログの開設者は「マルK」。投稿日は4月23日。今から約3ヶ月前の記事だ。広告などは貼られていない。

誰もがどこでも気軽に情報を発信できる世の中になったが、ネット上の情報というものはソースが明らかでない限り、信憑性に乏しい面がある。いま周が読んでいた記事もひょっとすると誰かによる創作なのかもしれない。このことが周の気持ちを悶々とさせていた。

ー熨子山連続殺人事件は村上隆二と鍋島による凶悪犯罪としてだけ報道されとっけど、俺はこの背景が知りたい。

相馬はノートパソコンを畳んで、カバンの中から取り出した書物に目を通し始めた。

 

 

喫茶ドミノの奥に通された古田登志夫は久しぶりに訪れたこの場所をしげしげと眺めた。3年前の熨子山連続殺人事件では、ここで赤松剛から事情聴取をしたことがある。店の様子はその時と何も変わらない。相変わらずの純喫茶の体である。あえて変化があるとすれば、かき氷を提供していることだけだろうか。「かき氷あります」との札が店の柱に貼り付けてあった。

「で、なんや話っちゅうんわ。」

「これ。」

ソファに深く身を委ねていた片倉は一枚の写真を古田に見せた。

「誰いやこのあんちゃん。」

「今川惟幾(これちか)。ドットメディカルホールディングスCIO(最高情報責任者)。」

「ドットメディカルってあのドットメディカルか。」

「ほうや。」

「んでなんやそのシーアイオーってのは。」

「最高情報責任者。Chief Information Officerや。」

「あーもっとわかりやすく言え。」

「企業の経営戦略に沿った情報戦略やIT投資計画を策定する責任者。まぁここらの会社には見受けられん役職や。」

「偉いんか。」

「取締役待遇。」

「CIOとかCEOとか何か言うけど、ワシにはそいつらがどうも西洋かぶれのカッコつけで、わざと横文字の肩書をつけとるしか思えんわ。好かんわ。」

「エバンジェリストとかな。」

「ああ。」

「まぁそれは置いといてだ。トシさん。この今川を調べてくれ。」

「は?」

古田は熨子山連続殺人事件後の3月末をもって定年退職した。その時には再雇用、嘱託職員として勤務を継続するよう上層部から依頼されたが、彼は佐竹を事件捜査に巻き込んでしまったことを悔い、その責任をとるためにも再雇用の道を選ばなかった。なので今の古田はただの人である。

「片倉。おめぇ何言っとれんて。ワシはもう警察を辞めたんや。」

「誰もウチに戻れって言っとらん。」

「何?」

「趣味。」

「趣味?」

「あんた仕事が趣味やったやろ。趣味を取り除いた老人なんてもんは一気に老化が進む。そりゃあ生きる楽しみの大半が削がれるわけやから当たり前や。まぁ奥さんとか子供がおれば、それらと一緒に旅行とかなんかすればいいけど、トシさん。あんたひとりやろ。」

古田は出された水に口をつけて片倉の話が聞こえていないふりをした。

「俺、心配ねんて。その手の人はほら、認知症になりやすいっていうがいや。」

「はぁ?おめぇワシを呆け老人扱いか。」

「怒んなやトシさん。俺はただあんたのことを心配しとるだけなんや。」

グラスをそっとテーブルの上に置いて古田はため息をついた。

「…片倉。すまんな。お前に心配させてしまって。」

古田は急に神妙な面持ちになった。古田にはかつて家庭があった。妻も子供もいた。しかし彼の仕事に対する強烈な思い入れが家庭を崩壊させた。すれ違いが続いた結果ふたりは離婚。妻が娘を引き取る形で別の男と再婚し、今は幸せに生活をしているらしい。父親らしいことを何ひとつできなかった古田にひとり娘が会いに来ることはなく、彼の元を訪れるものはいなかった。しかし彼はそれを苦にはしなかった。一心不乱に打ち込める刑事の仕事があった。家に帰っても仕事があった。古田にとっては一般的な家庭よりも仕事が心のよりどころであり、それを糧に今まで生きてこれた。しかしそのよりどころを失った今、彼には何も無くなった。引退した身に特別声をかけてくれる存在もおらず、孤独を憶えるようになっていた。

「お前ぐらいや。俺のことを気にかけてくれるのは。」

よせと言って笑みを浮かべた片倉が言った。

「生きがいを失くしちまった人間ほど、傍から見ていて寂しいもんはねぇ。どうだトシさん。ちょっくら力貸してくれま。」

片倉の申し出は古田にとって渡りに船だった。

「わかった。」

「よし。そうこんとな。」

「で、この今川がどうした。」

「似とるらしんや。」

「似とる?何のことや。」

「村上の件。」

「なに?」

「当時、あの病棟で勤務しとった掃除婦のタレコミや。」

「今更。」

「最近、あの会社露出が多いやろ。まぁテレビとかに出るのはもっぱらあそこのCEOって奴やけど、この間、どうやらこの今川がテレビ画面に映りこんどったらしいげんて。それを偶然見とった掃除婦が通報してきたってわけ。なんか分からんけど閃いたんやろうな。」

「で。」

「この今川。調べても調べてもよくわからん男なんや。あぁもちろん一応事件当日のアリバイはある。ほやけど何か引っかかっとってな。」

「何かってなんや。」

「直感。それ以外に何もない。」

古田は口元を緩めた。片倉が言った警察官としての勘。これが捜査上重要なのである。現場を十分に経験したからこそ発揮される能力であり、捜査を進めるにあたって最も推進力となるものでもある。引退し暫く忘れていたこの感覚に触れ、古田の表情に生気が宿りはじめていた。

「で、なんで公安が3年前の事件について調べるんや。」

「それは言えんよ。」

古田はボリボリと頭を掻いた。

「公安マターか…。」

「トシさん。まだ事件は終わっとらん。」

古田の手が止まった。

「なに?」

「それ以上は俺の口からは言えん。しかるべき時が来たらちゃんとした立場の人間からトシさんにも報告する。ほやから力を貸してくれ。」