序章

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序章
五の線2 序章
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「OKぃ。」

HDカムのRECボタンを押して、録画を終了した安井は手早くカメラを三脚から外した。

「ヤスさん。もうワンカット撮ってください。」

「あ?」

記者が言った注文に安井は明らかに面白くない風だ。

「もうちょっとこれらの展示品を工夫して撮ってください。」

「はぁ?おめぇ何いってんの。」

「ですけど、せっかくですからきれいな輪島塗をもっと魅力的に伝えたいんです。」

「あのなぁ、そんなくだらない指示をするくらいなら、もっとマシなネタ引っ張ってこいよ。」

「え?」

「お前には何度も言ってるだろ。いくら田舎だっていってもいろいろニュースになることはあるんだ。いつも決まり決まった定例展示会のことをわざわざ公共の電波で演出までして伝えることねぇだろ。」

「ヤスさん。そんな事言っちゃったらニュース番組なんかできませんよ。石川みたいな田舎だと今日も特に変わったことはありませんでしたっていう方が、市民にとって大事なニュースなんですから。」

「かといって演出まではいらんだろう。こういう展示会やってます。門外不出の作品もあります。興味がある人は行ってみてください。それだけでいいだろ。」

「なんて言うんでしょうかね。こっちもルーティンばっかりだとちょっと飽きちゃって。」

安井は渋々カメラを右肩に背負った。そして現代の輪島塗展が開催されている昭和百貨店8階展示フロア内をうろうろと歩いた。一組の老夫婦がある輪島塗の作品をにこやかな表情で愛でていた。安井はとっさにファインダを覗き、彼らにピントを合わせた。同時に安井の後方に付き従っていた男がライトを当てた。ライトを直接的に被写体に照射すると彼らは突然の強烈な光にびっくりしてしまう。そんな時には一旦天井に向けてライトを灯し、それから被写体へ光を移動させる。するとその光は被写体に意外とすんなりと受け入れてもらえるのだ。彼はその手法に忠実に従って被写体に光をあてた。安井のカメラのRECマークが灯り、それが消えると同時にライトも消された。安井は老夫婦の表情を作品越しに捉えようと再び移動した。

「アシ。」

彼はそう言って右掌を地面にかざすポーズを取る。すかさず彼に付き従っていた男は重さ10キロ程度ある三脚の脚を広げて安井に渡した。安井はHDカムを三脚に固定しファインダを覗きこんだ。先ほどと同じようにそれにともなって照明が照らされる。安井は静かにRECボタンを押して15秒ほど静止した。

「相馬。もうちょっと右。」

「はい。」

相馬は半歩右に移動し、被写体にライトを当てた。

「OKぃ。」

 

北陸新聞テレビ1階の報道フロアの奥の一室がカメラマンの控室である。広さは8畳程度。壁の隅には撮影で使用するカメラ、三脚、バッテリーライト、マイク、各種ケーブル類等が整理されて保管されている。今日の取材をひと通り終えた安井はカメラを置き映像が記憶されたカードを手にして編集室へ入っていった。一方相馬の方は持っていた装備を所定の場所に片付けていた。肩にかけていたライトのバッテリーを下ろし、次いで三脚ケースを下ろした。肩や背中に汗が滲んでいる。相馬はエアコンの風向きを確認して、濡れるそこに冷風をあてた。

「はぁ。」

今は7月。金沢の夏は厳しい。北陸といえば厳冬の雪国をとっさに連想されるだろうが、実はこの夏が曲者だ。湿気が多い地域であるため、暑さがまとわりつくのである。ちょっと外に出れば首筋や太ももあたりに汗が出て、そこに外気中の湿気が加勢する。一気にじっとりとした暑さが身体中を支配しだるさを覚えるのである。そんな中で空気を乾燥状態にしてくれるエアコンというものは、まさに地獄に仏といったところだ。

相馬は部屋にあった時計を見た。時刻は16時半である。ほかの撮影部隊もそろそろ帰ってくる時刻だ。控室には大きな三人がけのソファが2つ、他は事務机と椅子のセットが2つだ。相馬はその事務椅子に座りスマートフォンを触り始めた。バイトの定時は17時。あと30分で帰宅できる。この30分は特に何かをしていなければならないと言うことはなく、ただ時が過ぎるのを待っていれば良い。相馬はネット上の掲示板に目を落としていた。

「ヤスさんは。」

黒のセルフレームの眼鏡をかけたポロシャツ姿の30代後半の男が控え室に入ってきた。

「編集してます。」

「あのさ相馬。残業できる?」

「え?」

「これから出たいんだけど。」

カメラアシスタントのシフト表を見ながら彼は相馬と目を合わせずにぶっきらぼうに言った。

「いいっすよ。俺、別に何も用事ないっすから。」

「じゃあ頼むよ。他のカメラもまだ帰って来れないみたいだから。用意して。すぐに出るから。」相馬はTシャツの胸のあたりをつまんでパタパタとさせ、エアコンの空気を服の中に入れた。

「マジかよ。」

安井はブツブツと言いながら早足で控え室に戻ってきた。

「どうせ心中かなんかだろ。」

「どうしたんですか。」

「土左衛門。金沢港。」

 

 

相馬周は石川大学政治経済学部の3回生である。昨年、大学の先輩から北陸新聞テレビの報道部カメラアシスタントのバイトを紹介してもらった。マスコミという得体のしれない仕事に携われる機会はそうもない。そのため彼は興味本位でここに飛び込んだ。バイトであるから気楽に構えようという心持ちが災いし、彼は入って一週間で打ちのめされた。相馬には容赦の無い暴言が飛んできた。三脚の運びが悪いとか、ライトの当て方がなっていないとか、動きが悪いとか、相馬の動き一つ一つに注文を付けられた。バイトに入ってから細かい指導などは無い。見よう見まねでとにかくすぐ現場。一気にやる気を失った相馬はカメラデスクの山下に辞めたいと言った。しかし一ヶ月やってみろ、そうすれば気が変わるはずだと言われ初めての給料日にその明細を見た。時給は1,800円だった。1日8時間。月15日の出動で214,000円である。夜にシフトで入ることもあるため、相馬の給料はそれなりだった。もちろん会社側は税金関係を差っ引いた金額を支給してくれるため、額面通りの金額が手元に入るわけではないが、学生という身分では余りある金を手にできたのである。そのため彼は条件が良すぎるこの職場でのバイトを継続することにし、今日に至るわけである。

「金だけじゃないぞ。相馬。ここでは普段では見れないものが見れる。おまえはラッキーだ。」

初の給料日にカメラデスクの山下はこう言った。

確かにそうだ。役所や議会の中に入り、いつもはテレビの向こう側でしか見ることがない知事・市長・政治家を目の当たりにすることができる。事件が起こればいの一番に現場の様子を見ることもできるし、特集の取材ではそのネタをどういう視点で取材し、画にするかという映像制作の流れを体感することもできる。

そこで働く人間は個性的であり癖がある。それらの人間と接するのは少々難儀であるが、得られるものとそれら煩わしいものを天秤に測っても、どう考えても得られるもののほうが多い。相馬は次第にこの特殊な職場の魅力に取り憑かれはじめていた。

相馬はタクシーの助手席に座り窓の外を眺めていた。あたりは日が沈み、街路灯が灯っていた。金沢中心部のオフィスビルは空きテナントが多いのだが、それでも一応石川経済の中心地。そこかしこのビルの窓から明かりが漏れている。金沢市中心部は家路を急ぐ車で混雑していた。

金沢港での撮影を終えてタクシーが南町の交差点で渋滞に捕まった時、後席に座っていた黒田が口を開いた。

「ヤスさんが抑えてくれた画ですけど、念のため編集しておいてくれませんか。」

「なんでだよ。自殺だろ。」

「まだ分かりませんよ。検死を待ってからです。」

「何言ってんだよ。車ごと金沢港にダイブしたんだから普通そうだろうが。」

「ヤスさん。ファインダー越しに見えませんでしたか。」

「な、何がだよ。」

安井は口ごもった。

「俺には見えたんですよ。ガイシャの首まわり。」

「…そ、そうか。俺には何も見えなかったけどな。」

黒田は安井が持つHDカムを自分の膝に乗せて操作し始めた。

「ヤスさん。とぼけないでくださいよ。あなたちゃんと画も抑えてるじゃないですか。」

黒田はファインダー内に表示される映像を安井に見るように言った。

「あ、確かに言われてみれば…。」

「ヤスさん。おねがいしますよ。俺を試すようなことをしないでください。」

安井はすいませんでしたと頭を掻いて口元を緩め、話題を変えた。

「そうそう黒田さ。あれから何か聞き出せたか。」

「ダメですよ。相変わらずの緘口令です。」

「仕事がお固いところは口も硬いんだね。」

「まぁそうですね。」

「あのさぁ、俺がよく行く居酒屋があるんだけど。そこに最近良く来る客がいてさ。その人、どうやらあそこのお偉いさんらしいんだ。」

「へぇそうですか。」

「見た目はいかにも銀行の重役って感じだけど、話すと案外気さくでさ。あの人なら何かの情報をくれるかもしれないぞ。」

「誰なんですかその人。」

安井は財布の中から一枚の名刺を取り出して黒田に渡した。

「お前もちょっと煮詰まってるみたいだったからさ、別の方面から当たってみるのもいいんじゃないかって思ってさ。」

「ヤスさん…すいません。ありがとうございます。」

信号が青になり車はゆっくりと発進した。運転席側の車窓からは大正期に著名な建築家によって建てられた、重要文化財でもある金沢銀行本店があった。

「いやな、オメェぐらいだからだよ。この事件をずっと追っかけてる奴って。」

「そんなことないですよ。」

「若ぇのに大したもんだよ。それと比べてウチのプロパー社員はどうなってんだよ。スポンサーに飼い慣らされた犬かってんだ。人の顔色ばっかり伺ってさ。」

「ヤスさん。そんなこと言わないでくださいよ。人それぞれ事情ってもんがあるんですから。」

「まぁおまえはそんな長いものに巻かれないで、今までどおりのスタンスを保ってくれよ。ははっ。」

相馬は目を瞑った。後席のふたりの話が聞こえないふりをしつつ、全神経を聴覚に集中させて彼らの声を耳に焼き付けようとした。

「その人はどうやら3年半前に駅前支店の支店長をやっていたらしいんだ。」

「駅前支店ですか…。」

「そう。佐竹の直属の上司。」

「でもですよ。どうやってその人と会って話を聞き出せばいいんですか。いくら酒が入ってるって言ったって、なかなかそのポジションの人は口を割ってくれませんよ。」

「黒田。おまえは真っ直ぐな所が良い。けどな直球勝負だけじゃ相手は打ち取れないぜ。」

「と言うと?」

「ばかやろう。それはお前が調べるんだよ。」

「…わかりました。」

「あのさ、決め打ちは良くないよ。いろんな可能性をあたってひとつずつ潰していく。そうするうちに全体像が見えてくるんじゃねぇのかな。」

「ありがとうございます。ちょっと探ってみます。」

 

 

「身元は。」

金沢港に到着した男は両手に白い手袋をはめながら、現場捜査員に尋ねた。

「長尾俊孝(としたか)45歳。公益財団法人石川経済振興会の事務局長です。」

「お固い団体職員が自殺ね…。」

金沢港に沈んでいた車両はクレーンで引き上げられていた。その車両にはブルーシートがかけられ中の様子がわからないように目隠しされてる。男はそれ目掛けて足早に向かった。現場の署員がひとり彼に付き従った。

「警部。この件は自殺でとのことなんで、わざわざ起こしにならなくても。」

「だら。俺はこの目で見ないと気がすまねぇの。」

日が暮れた金沢港には警察が持ち込んだ照明が二灯、煌々と輝いている。岡田は彼と目を合わせずに足を進めた。そしてブルーシートで覆われた車両の前に立ち、側にいる署員に警察手帳を見せた。

「金沢北署捜査1課の岡田だ。中を見せてくれ。」

「はっ。」

岡田は合掌してシートを捲り上げた。そこには溺死したと思われる長尾俊孝の姿があった。

車が金沢港に飛び込んだとの報があり警察は動いた。しかし時既に遅し。入水から10分程度で人間は死に至る。車ごと金沢港に飛び込んだならば、まずもってその救出は難しい。長尾は死後、時間が経過しないうちに引き上げられたので、所謂土左衛門と言われる状態ではなかった。

「おい。」

「はい。」

「これが自殺だと?」

「はっ。」

「ナイフは車内にあったんか?」

「いえ。」

「オメェなバカも休み休みに言え。自分で喉を掻っ切って、その後に自分の手首をハンドルに巻きつけて、アクセル全開で金沢港に車ごと突っ込んだってのか?こんなもん素人の人間でもおかしいと思うやろいや。」

「ですが、そのように処理するという方針ですので。」

「方針?誰だよそんな出鱈目な処理すんのは。」

「それは…。」

「岡田課長。」

岡田の後方から彼を呼ぶ声があった。

「しょ、署長…。」

振り返った先には半袖制服姿の北署署長の若林の姿があった。若林はキャリア採用の34歳。半年前から北署の署長として赴任してきている。七三分けの頭髪に銀縁眼鏡。目は細く、頬はこけ気味。色白でスラっとした体つきであるが、露出している前腕を見れば相当の腕力を持っているのがわかった。

「どうして署長がここに。」

「岡田課長。これは自殺ですよ。」

「え?」

「あなたが言ったとおりです。自分で喉を掻っ切って、自分の両腕をハンドルに固定し、アクセルを踏んで金沢港に飛び込んだ。れっきとした自殺ですよ。」

「いえ、ちょっと待って下さい。署長。」

「私が自殺と判断したんだ。これ以上の言は慎んでください。」

「署長…。」

顔色を変えることなくこう言い放った若林は岡田に背を向けて、待たせてあった警察車両の後部座席に乗り込みその場から立ち去った。若林と呼応するように鑑識も撤収をしはじめていた。

岡田は再び被害者を見た。被害者の喉は確かにナイフのような鋭利なものでばっくりと掻っ切られている。しかし彼の両手首はハンドルにロープで縛り付けられていた。自分一人の力で両手首をハンドルにロープで固定することすら至難の業であるというのに、自らの力で喉を掻っ捌き、呼吸もできず朦朧とする意識の中で両手首をハンドルに固定するなど荒唐無稽な推理だ。車内からはナイフなどは発見されておらず、誰がどう見ても他殺である。

「やばい事が動いとる…。」

岡田の額から汗がにじみ出ていた。その汗は暑さによるものでないことは彼自身がよくわかっている。岡田は自分の手帳に石川経済振興会とだけ書き天を仰いだ。7月の金沢の空はあの時と変わらず曇っており、不気味な闇夜が市内を覆い尽くしていた。

 

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コメント: 6
  • #1

    タケヒロ (火曜日, 09 9月 2014 14:34)

    続編、待ってました。ありがとうございます。
    この先どうなるんだろうかと続きが気になる始まりでした。ゾクゾクするような話になりそうでとっても楽しみです。
    頑張ってください。

  • #2

    yamitofuna (水曜日, 10 9月 2014 13:14)

    タケヒロさん

    前作に引き続きご視聴下さいまして本当に有難うございます。
    本作は前作に比べて一話の尺が少々長めですが、宜しければ最後までご視聴下さい。
    視聴者の皆さんの声が何よりの励みです。いつでも声をお寄せ下さい。

  • #3

    古今烏丸 (金曜日, 12 9月 2014 19:25)

    久しぶりに yamitofuna のサイトを覗いてみると、なん、「五の線」の続編がアップされていますね!

    視覚を伴わない聴覚だけのオーディオドラマ:特に五の線は、私はとても気に入っています。
    楽しみにしていました。
    早速 iTunes Podcasts からダウンロードします。
    ありがとう。

  • #4

    yamitofuna (日曜日, 14 9月 2014 09:18)

    古今烏丸さん

    前作に引き続きコメントありがとうございます。このブログでのコメント、iTunesでのレビュー、メール等が私の背中を押してくれました。
    古今烏丸さんのようなリスナーさんの声が何よりの励みです。
    今作も週一回の更新を心がけてまいります。お楽しみくださると嬉しいです。今後共宜しくお願いします。

  • #5

    雷鳥 (日曜日, 19 10月 2014 03:42)

    私は富山県出身で今は東京で暮らしており、
    お隣の県ということで作中の方言が懐かしく、前作は楽しんで聞かせて頂きました。
    骨太なストーリーがとても好みです。今作も期待しています。

    (序章に少々要望が…。1語目が冒頭すぐに入っていてビックリします。頭に少し間をおいて頂ければ幸いです。)

  • #6

    yamitofuna (月曜日, 20 10月 2014 13:55)

    雷鳥さんへ

    前作に引き続き、ご視聴下さいまして誠にありがとうございます。遠い東京の地で頑張ってらっしゃる同じ北陸人の雷鳥さんに、私の方言が懐かしく受け止められているのは大変光栄です。ご指摘の箇所は後日修正させて頂きます。暫しのお時間を下さい。
    実は雷鳥さんのコメントを奇しくも富山から京都へ向かうサンダーバード39号の車中で拝見しました。何かのご縁かも知れません。
    今後とも五の線2をよろしくお願い致します。