12月21日 月曜日 17時23分 金沢銀行本店

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12月21日 月曜日 17時23分 金沢銀行本店
第七章 11
五の線 第七十二話.m4a.mp4
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「失礼します。」

ドアをノックしそれを開くと、そこには革張りの椅子に身を委ね、何かの雑誌を読んでいる加賀の姿があった。

「ああ山県支店長。お疲れさまでした。」

労いの言葉をかけた加賀は常務室の中央に配される応接ソファに座るよう、山県に言った。

「マルホン建設とドットメディカルの提携話をまとめてくれて助かりました。」

山県はソファに座り、何やら照れ臭そうな表情をして軽く頭を下げた。

「何を仰います。常務がドットメディカルに働きかけなかったら、こんな芸当はできませんよ。私のような一支店長の身ではまとめきれません。」

「ははは。」

「常務は一色と連絡は取れましたか。」

加賀は立ち上がって窓際に立ち、険しい顔をして外を眺めた。

「…いや。ダメだ。」

「…そうですか…。」

「…あいつはもうダメかもしれない…。」

山県は加賀の言葉には返事をせず両手で頭を抱えてうなだれた。

「警察が総動員であいつの行方を追っているが、手がかりが全くないそうだ。」

「…と言うと。」

加賀は振り向いた。

「あいつは俺がここに赴任する前、俺にこう言っていた。何かのことがあって連絡が途絶えたら、構わず役割を完遂してくれと。」

「…何か…ですか…。」

加賀は頷いた。

「はぁー。」

山県はまたもうなだれた。

その様子を見て加賀は横に座って彼の肩を叩いた。

「大丈夫だ、一色は必ず何処かで身を潜めている。だから望みを最後までもとう。 なんてあなたには無責任なことは言えない。最悪の事態を想定するときだ。」

山県は返事をしない。

「止むを得ない。あいつは立派に戦った。だから俺らは俺らの役割を果たしてあいつの意思に報いよう。」

山県は両手で顔を何度かこすって面を上げた。彼の瞳には拭いきれない涙が湛えられ、顔は紅潮していた。

「常務…。この企ての終着地点は一体なんなんですか。」

「支店長…。」

「私はあいつが言っていた通りにマルホン建設の役員の総取っ替えをやりました。これであの会社は仁熊会と手切れができるでしょう。私の役目はこれで終わりです。この先、あの周辺の関係者の悪事が世の中に知れ渡って、相応の制裁が課せられなければなりません。この先には一体何があるんですか。」

加賀は切実な表情をする山県を直視できなかった。

「あいつは世直しのために自分の身を犠牲にしたんです。命ほど尊いものはこの世にはありません。その対価は一体なんなんですか。」

「支店長。全ては明日わかる。」

「明日?」

「明日、全てが終わる。」

「根拠は。」

「一色は言っていた。3日でケリをつけると。俺やあなたに決行の指令が出たときから今日で2日。」

「しかしあいつ自身が死んだ可能性がある今、その予定は有効だとは思えません。」

加賀は立ち上がって再び窓から外を見た。

「山県支店長。あなたは歴史に造詣が深いと聞いています。」

「常務。話をはぐらかさないで下さい。」

「死せる孔明。生ける仲達を走らす。という言葉をご存知でしょう。」

「死せる孔明。生ける仲達を走らす…。」

「希代の天才軍師を引き合いに出すのはどうかと思いますが、一色という男は負ける戦をしない男です。必勝のための二重三重の策をうって攻め込む男です。おそらくこうなることもあいつの中では織り込み済みだったんでしょう。」

「自分が害されることを覚悟の上でということですか。」

加賀は頷いた。

「彼は剣道を嗜んでいました。私も東京で彼とは剣を交えた中。その道に勤しんでいたので良く分かるんですよ。」

「どういうことでしょうか。」

「剣道の攻め方には先の先という攻め方と、後の先という攻め方があるんです。」

「先の先。後の先…。」

「先の先とは文字通り、相手の先を読んで機先を制する攻め方です。相手が行動を起こす前に打撃を与えるのです。一方、後の先というものは相手の動きを見てから、一瞬先に攻撃に出る。剣の世界では先の先がその精神性から尊ばれます。彼は今回のマルホン建設を取り巻く不正事件と恋人のレイプ事件を解決するために、先の先で準備をしてきました。しかし相手は一枚上手だった。彼の攻撃を察知した相手側は先先の先をついてきた。出ばなを突かれた形です。こうなると普通の戦いでは一本を取られ一気に劣勢に立たされます。」

「そうですな。」

「しかし先に一本取らせることもあいつの計算内だった。」

「と言うと。」

「後の先は先ほども言ったように、相手の動きを見てから行動に出ます。例えば相手が面を打ってくると瞬間に察知したとしましょう。これに対する有効打突は相手よりも早く面を打つか、それとも面を打つときにノーガードとなる小手を打つか、胴を抜くかですこのどれもが相手の行動の起こりを見て発動させる攻撃なので、気力、剣さばき、体捌き全てにおいて優っていなければ有効な攻撃たり得ません。」

時折、全身を使って剣道の攻守の様子を説明する加賀の様子を山県は食い入るように見つめた。

「ですから後の先というのは自分の実力というものを知らなければ、ただみすみすやられるだけの愚かな攻め方にもなるのです。しかし逆も言えるのです。自分が絶対に勝てるという必勝の形があるならば、その形に相手を引き込めば良い。」

「一色の必勝の形。」

「そう。それが今回の全方位攻撃だった。」

「全方位?」

「我々金沢銀行組はマルホン建設に対する当行の杜撰な融資体制の改革と同時に、当該先の経営陣刷新を進め、あの会社と反社勢力を切り離す。一方、検察では本多代議士と仁熊会との繋がり、過去の用地取得に関するインサイダー取引の立件。警察ではあなたの娘さんを犯した真犯人の検挙と今回の殺人事件の容疑者逮捕、真相解明です。」

「何ですって?」

「加えて、この事件の背景には警察組織の腐敗も含んでいるので、それはそれで監察方が動いている。」

「となると、常務はこの一斉攻撃の一翼を担うために、3ヶ月前に財務省からここに来たんですか。」

「そうです。」

「このためだけにですか。」

「…はい。」

「貴方は財務相、しかも主計局の主計官。キャリア中のキャリアと言われる部署にいながら、我が身を捨ててまで、こんな田舎の銀行に来たんですか。」

「ダメですか?」

「ダメではありませんが…何というか…言葉は悪いですが、変わったお人だと。」

加賀は失笑し山県と向かい合った。

「支店長。確かに私のような振る舞いは他人から見れば変人以外のなにものでもありません。何百億、何千億の金の配分を決定する、国家の中枢機関で絶大な権力を与えられた特権階級ですからね。とはいえ、この金は全て国民から頂戴したお金。よくよく考えてみれば、我々は国民によって生かされているわけです。しかし、あの世界にどっぷり浸かっているとその感覚が麻痺してくる。極端な奴はこの金をあたかも自分のものであるかのように勘違いし始めるんです。私もかつてはそう勘違いした時がありました。」

山県は神妙な面持ちで加賀を見つめた。

「我々が国家の経済を支えている。我々の予算配分が国民ひとりひとりの生活を根底から支えている。一億二千万の日本国民を養っていると。」

「そうですか…。」

「ですが、ある時思ったんですよ。本当にそうだろうかと。」

「なぜ?」

加賀は黙り込んだ。

「どうしました。」

「…私の実家は地方のちいさな土建屋でね。ここがいわゆる下請け専門の会社だったんですよ。」

山県の顔つきが険しくなった。

「マルホン建設みたいな地元公共事業の元締めのような会社の孫請けだったんです。律儀すぎる父親でね。そこからの仕事が売り上げのほぼ100パーセントを占めていたんですよ。」

「ということはもしや。」

「そう。公共事業そのものが削減され、尚且つ工賃も切り詰められて会社は立ち行かなくなりました。そして父は首を吊ったんです。」

「それは…。」

「当時は銀行を憎みましたよ。晴れている時に傘を貸して、雨が降ったらそれを取り上げる。その比喩がそのまま当てはまることをされたんです。銀行に親父を殺された。そう当初は思いましたよ。しかし、ちょっと頭を働かせればそれは言い掛かりも甚だしいことだと理解しました。私の実家が悪いんです。変な義理立てを建前に、現状脱皮から目を背けていたんです。一社に頼らない経営方法なんかいくらでもありました。しかし業界の縛りとか営業の非効率さとかを盾に一歩を踏み出さなかったんです。」

「そうですか。」

「私は思ったんです。自分の親すら支えることができないのに、国家予算の配分をして千人万人の生活を支えるなんて随分と傲慢な考えだって。」

「そこで一色と話をしたというわけですか。」

「ええ。3年前でしたか。稽古で久しぶりにあいつと顔を合わせたんです。あいつの剣は随分と殺気に満ち溢れていました。一体どうしたと聞くと、あなたの娘さんのことを教えてくれたんです。」

山県はため息をついた。

「彼は私に力を貸して欲しいと言ってきました。金沢銀行に入り込んで、あの会社を中から変えて欲しいとね。そうすることであの会社も、マルホン建設も膿を出すことができる。そして悪事を世間に詳らかにすることで、当事者に制裁を与えることができるってね。でもね、正直困ったんですよ。せっかく手に入れた特権的な階級を放り出して、何かに尽くすってのはどうなんだって。自分の仕事は本当に世の中に貢献しているのかわからないって言ってるくせに、実のところは現状の変化を望まない自分がいたんです。」

「そんなあなたが何故。」

「仲間です。」

「仲間?」

「そう。剣道仲間に一色とは別の警察官僚がいましてね。こいつが一色の呼びかけに応じるって言うんですよ。あとね、検察官もいましてね。こいつは一色と大学で同期のやつで、これまた真実を闇に葬るのは我々の仕事で無いと声を上げるんですよ。彼らは司法側の人間ですから、良心に従って真実を求めて動くってのがよくわかる。ですが私は金の世界の人間です。彼らの息巻く姿をちょっと引いた目で見ていました。私は彼らに聞きました。なぜ、そこまで親身になれるかと。するとこ逆にこう質問されました。」

「どんな?」

「船が沈没して、幸いわたしは救命ボートに乗ることができた。辺りには溺れて助けを求める人たちがいっぱいいる。しかしボートの定員はあと3名。それ以上の人間を載せるとこれも沈んでしまう。そうなったら私にどうするかとね。支店長。あなたならどうします?」

加賀の問いかけに山県は戸惑った。

「…自分の家族を探して、それを救出します。」

「私もそう答えました。しかし、救命ボートには様々な人たちが乗り込んでいます。既に家族を失った者。素行の悪い者。大金持ちの者。老人。子供。はたまた誰かを突き落として、自分に利する人間を載せようとするもの。そんな中で、自分の家族を最優先で載せるというのは不可能に近い。」

「確かに…。しかしどうするでしょうか。」

「辺りを見回してみれば、遠くの方に自分の家族がいるが、向こうの方まで行ったところで、たどり着いた時には彼らはこと切れているかもしれない。いま自分が置かれた状況でできることは目の前の命を救うということだけなんです。手を差し伸べれば助かる命が目の前にある。それならば一番近くの人から助けるべきでしょう。」

「救いを求める者に軽重はないということですか。」

加賀は頷いた。

「主計官は政策にプライオリティをつけて、軽重を判断するのが仕事です。しかし一色が私の前に突き出したのはその真逆のことでした。利害なしの人間性そのものを試される事案だったのです。だから私は彼の申し出に一歩引いてしまったのです。しかし、仲間は違った。彼らは己の良心のみに従って、行動することを決意した。ここで父の姿が頭をよぎりました。」

「お父さまですか。」

「父はいざという時に何もしませんでした。だから、会社が立ち行かなくなり自殺をするハメになった。私もそれと一緒なのではないかとね。自分は目の前で救いを求める人間に目を背けるが、周りの人間がなんとかしてくれると、根拠のない期待を持っているのではないかって。」

「そのあなたが逡巡する様を見た仲間が、実際の行動を見せることであなたを動かした。」

「そう。」

「仲間の行動があなたの背中を押した。」

「一体誰がどういった形で、我々が組む予算というものの恩恵をこうむっているか分からない。しかし、目の前にある課題は私の行動如何でその結果が明らかになる。しかもそれはひとりの男の救いになる。これが決め手だったんです。」

「なるほど。」

加賀はため息をついた。

「私がこの銀行に天下ってきたのはこういった経緯があったんですよ。それを全て汲んでくれたのが、前田頭取です。」

「頭取ですか…。」

「支店長。おそらく一色はもうこの世にいない。だからと言って、この計画を頓挫させる訳にはいかないのです。まだ我々のやることは残っています。」

「…何でしょうか。」

「自分の実家であるマルホン建設と結託し、仁熊会という反社会勢力に湯水の如く融資し、当行の社会的信用を失墜させた張本人の背任を告発します。」

「刑事告発ですか。」

「常務‼︎」

常務室の扉をノックもせずに入り込んで来た男がいた。融資部長の小堀である。彼は血相を変えて息を切らしていた。

「どうしました。」

「専務が…。」

「専務?本多専務がどうしました?」

「あ…あ…。」

「小堀さんどうしたん?」

「自殺しました…。」

加賀と山県はお互いを見合って絶句した。