3年前 8月3日 水曜日 15時13分 フラワーショップアサフス

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3年前 8月3日 水曜日 15時13分 フラワーショップアサフス
第五章 8
五の線 第四十九話.m4a.mp4
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文子は固唾を呑んだ。

「忠志さんは知ってしまったんです。指定暴力団の仁熊会が公共事業に関する用地買収に深く関わっていることを。それもこの開発目覚しい田上地区に関する用地買収。そしてこれから本格着工される北陸新幹線沿線の用地買収についてです。用地買収にありがちな不正は、地権者が取得者に対して賄賂を送り、用地取得の査定に便宜を図るよう依頼するというものです。これだけなら話は簡単です。」

彼女はだまって一色の眼鏡の奥に光る目を見ている。

「忠志さんが知ったのは用地買収に関する複雑な構造だったのです。」

すると一色は自分にお茶うけとして出された3つの最中を文子の前に横一列に並べた。

「左から順番にマルホン建設。仁熊会。そして国としましょう。」

「国の用地買収というものは計画から実施まで非常に長い歳月をかけるものです。当事者においては用地買収の実施そのものの是非は勿論のことですが、実際にどの用地が買収対象になるのかというのが最大の関心事項です。そこでまずこのマルホン建設工業が登場します。」

一色は左側の最中を手にとった。

「マルホン建設は国会議員の本多善幸の実家です。彼は建設業界出身ということもありその分野に関しては深い見識を持っています。マルホン建設自体が公共事業を生業としていることから彼が省庁とのパイプを作るのに苦労はしませんでした。彼は国土建設省の族議員として政界で活躍をします。政務次官や党の部会長などを経てその影響力を高め、政策の決定に深く関与して来ました。」

一色は最中を畳の上に置いて話を続ける。

「今から25年前のことです。マルホン建設はこの田上地区周辺の土地を買い漁っています。バブル華やかなりし時代です。誰もが投資をすれば儲かるなんて言われたばかみたいな時代です。マルホン建設も周囲と同じように不動産投資を積極的に進めます。しかしそれは見事に崩壊。マルホン建設は多額の含み損を抱えることになる。バブル崩壊から2年後マルホン建設の社長であった本多善幸は選挙に立候補。勝利して衆議院議員となります。それから3年後にはこの田上地区の再開発の計画が噂されるようになります。」

ぬるくなってしまった茶をすすり、彼は真ん中の最中を手に取った。

「ここでベアーズデベロップメントという会社が登場します。仁熊会のフロント企業です。ベアーズデベロップメントはマルホン建設が多額の含み損を出した土地をすべて購入しています。バブル崩壊から1年も経たないころのことです。こんな時期に誰も投資目的で土地を買おうとはしません。これからどれだけ地価が下がるか分かりやしない。なのにこのベアーズデベロップメントはマルホン建設の土地をすべて買い取ったのです。それからしばらくしてマルホン建設の本多喜幸が国会議員になり、田上地区の開発計画が持ち上がります。計画の噂を受けてから田上地区の地価は下落傾向から横ばいになり、その噂が実際の政策として発表されて上昇傾向に転じます。発表にともなって、この辺り一帯の用地買収が必要となります。結果的にベアーズデベロップメントの用地はすべて国によって買い取られることとなりました。」

「お母さん。お分かりでしょう。マルホン建設は評価損の土地をさっさと売却したかった。それに応じたのがベアーズデベロップメント。今後どれだけの不利益を被るかわからない契約なんぞ誰も自ら進んで結びません。しかし仁熊会のフロント企業がそれを引き受けた。不自然ですね。おそらくマルホン建設の社長であった本多善幸が公共事業に何らかの影響力をもつ存在になることで、将来的にベアーズデベロップメントに利益をもたらす密約があったのでしょう。事実、ベアーズデベロップメントはマルホン建設から購入した金額よりも3割高値で国に売却しています。その用地買収の原資はすべて税金。労せずしてベアーズデベロップメントはその多額の資金を我が物にした。」

一色は右側の最中を2つに割って、その一方を口に入れた。

「ぎっしりと詰まったこの最中の餡は実は全て税金だった。国民の血税が特定の連中に食い物にされている。それを忠志さんはどこかで知った。」

「はい。その通りです。おおよそあなたが言っていることと同じです。」

「忠志さんは現在進行中の北陸新幹線建設にかかる用地取得でも、田上地区の用地取得に関するマルホン建設、ベアーズデベロップメント、国の三者構造が潜んでいることを忠志さんは知った。田上地区は終わった話。しかし新幹線に関することは現在進行形の話。」

「そうです。」

「忠志さんは正義感が強い人です。それはこの家にむかし出入りしていた私が身を持って知っている事実です。忠志さんは警察に行きます。忠志さんが北署に来ていたことは当時の資料からすぐに分かりました。これが6年前の事故の2ヶ月前のことです。」

ここで一色は言葉に詰まる。

「しかし警察は動かなかった。」

「そうです。主人は警察に行きました。何度も。ですが証拠も何もないのに動くことはできないと言われたそうです。」

「知ってしまった事実と現実社会の間で忠志さんは苦悩します。忠志さんはあなたにも相談します。自分は一体どうすればよいのか。このまま黙って見過ごすことは容易いが、人としての良心が放っておかない。そんな中、この用地買収の関係者と忠志さんは接触します。おそらく向こう側から接触してきたのでしょう。この手の話の場合、口止めが接触の主な動機です。忠志さんは先方の申し出を断ります。」

「当時、私達の店は決して楽な経営状態ではありませんでした。500万円という口止め料を提示されたと主人から聞かされたときは心が揺らぎました。しかしあの人はその場で断ったそうです。その原資も税金からくるものなのかもしれない。それを考えると尚更、先方のやり口に腹が立つと怒っていました。一度こうだと思ったら頑としてブレないのは主人の性格ですからね。でも現実問題としてまとまった資金は店を経営していく上で必要でした。」

一色の物語を自然と補足するように語りかける文子に彼は頷いた。

「あなたはご主人に無断で先方と連絡をとって入金口座を教えた。ある日口止め料が入金されます。コンドウサトミという人物からです。あなたはコンドウサトミさんを御存知ですか。」

文子は首を横にふる。

「そうでしょうね。このコンドウサトミという人物はこの世に実在しません。銀行にある本人確認書を照合した結果、偽造されたものだとわかりました。架空の人物を創りだすことにその筋の人間は長けています。おそらくこれにも仁熊会が絡んでいるんでしょう。」

「いつものように銀行にいって通帳を記帳するとその人から500万が入金されいていました。その数字が記帳された通帳を見て、私は主人を裏切ってしまった後ろめたさよりも正直ホッとしたんです。」

一色は彼女の様子を黙ってみる。

「綺麗事ばかりでは生活は成り立ちません。この店は火の車でした。このままじゃ京都で生活している剛志たちにも迷惑をかける事になる。だから私はそうしたんです。ですが主人は違いました。あの人は曲がったことが大嫌いです。今回の件もそうです。ですから私が口止め料をもらったと知ったときは烈火のごとく怒りました。」

「そうでしょうね。」

「私は間違っていました。今回の件はあくまでも主人とマルホン建設とベアーズデベロップメントの間での話です。私はそのことについて主人に相談されただけ。そこに降って湧いたように500万が入ってくるかもしれないと話があって、それに縋った。目先のお金に目が眩んだんです。」

「お気持ちはよくわかります。あまり自分を責めないで下さい。」

「主人は絶対に受け取れないお金だと私を諌めました。そして翌日銀行でそのお金を全額引き出しました。」

一色は通帳の写しを眺めて払い出しの欄に500万の数字が記入されているのを確認した。

「その夜のことです。主人が事故で死んでしまったのは。」

文子はその場で泣き崩れた。

「私が悪いんです。私が目先のお金に目が眩んだからです。」

文子に掛ける言葉がなかったが、このまま彼女の様子を見ている訳にはいかない。うかうかしていると赤松も店に帰ってくる。

「お母さん。自分を責めても何の解決にもなりませんよ。」

そう言うと一色はハンカチを取り出して文子に差し出した。

「涙を拭いてください。」

一色は通帳の写しに目を落として話しを続けた。

「500万は確かに事故当日に引き出されています。忠志さんはこのお金を持って関係者と接触を図る。それがひょっとしたら夜の熨子山だったのかもしれない。そこで事故を装って関係者に殺害された。そして500万も関係者に回収された。」

文子は涙を拭っていた手を止めた。

「違います。500万円はここにあります。」

「え。」

おもむろに立ち上がった文子は、押入れの奥から現金が入った封筒を持ってきて一色に見せた。

「どうして。」

「葬儀も一段落して、剛志がこっちに帰ってくるかこないかの話をしていた頃です。店番をしていたアルバイトが私に渡して欲しいってお客から預かったそうです。菓子折り箱だったんですが、中を開けるとこれが入っていました。」

封筒には文字が書かれていた。彼は声に出してそれを読んだ。

「コンドウサトミ。」