12月21日 月曜日 9時56分 喫茶BON

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12月21日 月曜日 9時56分 喫茶BON
第五章 6
五の線 第四十七話.m4a.mp4
MP4動画/オーディオファイル 15.8 MB

金沢駅構内のテナントスペースの一角にあるBONに、佐竹が銀行員特有の大きなカバンをもって入ってきた。

「あら、佐竹さんじゃない。」

マスターの森は中年の男性であるが、女性のような口調で佐竹を意外そうに見ながら、声をかけた。佐竹は森の言葉には耳を貸さず、店内をひと通り見渡していた。

入り口から見て死角となるところに陣取っていた古田は、入店してきた佐竹に手を上げて合図した。それに気づいた佐竹はようやく森の言葉に反応した。

「ああ、マスター。ちょっと約束があったんや。」

「あらそう。」

「このことは誰にも内緒でお願い。」

「いいわぁ。で、コーヒーでいいのかしら。」

「あぁそれで。」

佐竹は店の奥にあるテーブル席でメモ帳を開いて座っている古田と正体した。

「おまたせしました。」

「こちらこそ、突然すいませんでした。」

古田は佐竹に頭を下げた。

テーブルに配された灰皿に三本の吸殻を見て古田が喫煙者であることを確認した。

「私も吸っていいですか。」

「ええ、どうぞ。とかくこの世は喫煙者には肩身が狭いですからね。」

古田は苦笑いを浮かべた。

「いつかは警察の方が来られるだろうと思っていましたが、こんなに早く来られるとは。」

佐竹は勢い良く吸い込んだ煙を吐き出した。

「ほう、どうして我々が来ると思われたのですか。」

「私と一色は何の関係もない間柄ではありません。ですからひょっとしたら話を聞かれることになるかもしれないと思いましてね。」

「そうですか。それなら話は早いですな。」

「刑事さん。実は私、仕事が立て込んでいるんですよ。ですから出来れば今日の晩に変更していただけないですか。」

ただでさえ慌ただしい年末。それなのに朝からマルホン建設の融資に関して揉めている。これだけで自分の手はいっぱいだ。そこに無粋な来訪者。彼は事件のことについて聞きたいと言っている。時間がなければ連絡がほしいと言われた。自分の業務に支障が出るくらいなら後日改めてもらうのが適切だ。しかしなぜ自分はいまこの時間にこの場所でこの刑事と合うことを選択したのだろうか。そしてあろうことかこの場で時間を変更してくれと言っている。

「それはそれは大変申し訳ないことをしました。それならわざわざこちらまで足を運ばなくても電話で連絡をくださればよかったのに。」

おそらく佐竹の心の奥底にある事件に対する不安感が、彼をこの場に呼んだのだろう。佐竹は自分が昨日赤松にこの事件について「怖い」と漏らしていたのを思い出した。

「ちょっと不安でして。」

「不安というと。」

「なんて言うのか…高校の同級生ですから…。」

「一色がですか。」

「ええ、ひょっとしたらこっちまで何か巻き込まれてしまうんじゃないかと。」

古田は佐竹が自分と目を合わさないようにしていることに気がついた。これも佐竹の不安心理がさせている表情なのかもしれない。彼は佐竹の視線のやり方、挙動のひとつひとつを確認するように注意深く観察した。

「どうして巻き込まれるのですか。」

「いえ、なんとなくです。」

「高校時代の一色とあなたとは何か特別な関係でもあったのですか。」

「刑事さん。深い意味は無いんですよ。確かに高校時代はあいつと同じ部活をしていましたけど、卒業以来連絡も何もとっていないんではっきりいって関係はないんです。」

「佐竹さん。心配はありませんよ。」

「え。」

このとき初めて佐竹と古田の視線が合った。

「別に私は佐竹さんを疑って、いまここに居るわけではないんです。高校時代の一色貴紀という男と、その周辺の人間関係をお聞きしたいだけなんです。」

「どうして高校時代の人間関係なんですか。」

「熨子山のことです。」

「熨子山?」

「ええ、あなたは高校の剣道部時代に熨子山で鬼ごっこをしていましたね。」

「はい。」

「非常にユニークなトレーニングですね。」

「ええ、まあ。」

「おまちどうさま。」

マスターが煮えたぎったコーヒーを二人の間にそっと出した。

「佐竹さんのお客さん?」

「あぁちょっと昔いろいろとお世話になった人。」

佐竹がこういうと古田はそれに合わせてマスターの方を向いて軽く会釈した。

「ふふっいい男。ゆっくりしていってね。」

そういうと森はカウンターの方へ少し体をくねらせながら戻っていった。

 

「佐竹さん、この店よく使うんですか。」

「まあ、一応お客さんなんで。」

「実は私初めてここ使うんですよ。ここのマスターって…。」

そう言って右手の甲を自分の左頬にあてがった古田を見て佐竹は笑みを浮かべた。

森のコーヒーを出す絶妙なタイミングによって、先程から緊張感がある会話のやり取りをしていた二人に若干和んだ空気が流れたようだった。

「あのトレーニングは一色の発案です。」

「ああそう、その話をしていたんですよ。まずはそのトレーニングについて聞きたいと思いまして。」

「どうぞ。」

「熨子山全体を使った鬼ごっこと聞いていますが、どうでしょう。やはり佐竹さんは熨子山の地理について相当熟知されてらっしゃるんでしょうか。」

「まあそこら辺の人よりは知ってると思いますよ。」

「一般的に使用される車道とか遊歩道以外の道もですか。」

「ええまあ。あのトレーニングに参加していた人間はだいたい知っているんじゃないでしょうか。でないとすぐに捕まりますから。」

「そのトレーニングの中で最も優秀な人物は誰でしたか。」

佐竹はしばらく考えた。随分と昔の話なのでその当時の記憶はおぼろげだ。大会の成績の事ならばいざ知らず、トレーニングの中で優秀だった人間の名前を挙げろと言われても、なかなか思い出せない。

「当時、金沢北高は団体戦は県大会で準優勝。個人戦では鍋島さんがインターハイで優勝したと聞いています。大会成績の優秀さから考えて鍋島さんがそのトレーニングでも力を発揮していたんじゃないかと思いまして。」

古田の方を見ていた佐竹は額に手を当てて再び考えた。

「いや、刑事さん。僕も普通に考えて鍋島じゃないかと思ったんですが、あまり記憶が無いんですよ。」

「ほう。」

「当時としては画期的な練習方法だと、内輪で自画自賛して楽しんでやっていたトレーニングなので、その記憶は残ってるんですが、個別に優秀だった奴と言われるとちょっと思い出せません。」

「わかりました。じゃあ優秀じゃなくて目立っていた人間ではどうでしょう。」

「それならなんとなく覚えています。一番はしゃいでいたのは村上だったように思います。」

「村上さんですか。」

そう言うと古田は手帳の中に書き込まれている剣道部の当時のメンバー表に指をあててその名前を探した。

「村上隆二さんですか。」

「そうですね。」

「村上さんとあなたは今も連絡を取り合っているのですか。」

「はい。時々ですけど。」

「具体的には。」

「ばらばらですよ。頻繁に連絡をとりあう時もあれば、ひと月ほどぽっかり空く場合もあります。」

「なるほど。で、今回の事件が発生してからは何度連絡を取り合いましたか。」

「二三回ですか。」

「すいません。正確な回数を知りたいんです。差し支えなければご確認下さい。」

すると佐竹は携帯電話の着信履歴を確認した。20日10時10分に村上からの着信があった。

「昨日の10時頃に電話で連絡をとっています。あと、たしか昼の2時頃にあいつとメールでやり取りしただけです。」

何を書いているのかは分からないが、古田のメモを書く手は止まらない。

「ちなみに他の剣道部仲間の方と連絡は取られましたか。」

「赤松です。」

「赤松さんもよく連絡をとりあうのですか。」

「いえ、随分と久しぶりに連絡をとりました。」

「高校卒業以来?」

「そんなもんです。」

「どうして。」

佐竹は言葉に詰まった。明確な理由はない。ただ単に衝動的に連絡をとったと言っては変に相手に勘ぐられるかもしれない。佐竹はふと自分の腕時計に目をやった。時刻は10時20分を回っていた。ここで赤松とのやり取りまでいろいろ聴取されると時間が取られる。橘には本部へ稟議書を持って行って一件だけ客先によって帰店する旨を伝えているので、帰る時間が遅いと何を言われるかわからない。朝からの一件でただでさえ仕事が立て込んでいるのに油を売っていると思われては大変だ。マルホン建設の融資に関しても気が気でない。

「刑事さん。すんませんけど、仕事が立て込んでいますのでこれで失礼していいですか。」

「ああ、すいません。こちらこそお引止めしてしまいまして。申し訳ないですが佐竹さんの携帯電話と住所を教えてくれませんか。」

「わかりました。今日の晩ならいくらでも体空いてますので。」

そういうと佐竹は自分の名刺の裏に古田に求められた情報を記入して席を立った。