12月21日 月曜日 7時45分 金沢銀行金沢駅前支店

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12月21日 月曜日 7時45分 金沢銀行金沢駅前支店
第五章 1
五の線 第四十二話.m4a.mp4
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支店長の山県を前にして、20名いる行員が二列横隊で並んでいる。支店長代理の佐竹はその中央に居た。山県は先週の総括、そして今週の動きについて自分の考えを述べる。彼の話は簡潔だった。今期の金沢駅前支店の預貸金の実績は順調だ。今後はその中身、すなわち不良な債権を処理するべく行動をして行って欲しいとのことだ。そして土曜日に結婚をした服部を指名し、職員を前に簡単なスピーチをさせた。軽くジョークを挟んだ内容に、週明け月曜日の駅前支店の重たい雰囲気は和んだ。結びに山県は熨子山連続殺人事件を引き合いに出して、年末であるため、銀行としても特別警戒体制をとって万が一に備えよと指示を出し、朝礼は終了した。

「次長、代理ちょっと。」

話し終えた山県が佐竹と次長の橘に向かって手招きをした。山県と二人はそのまま店の奥にある応接室へ入った。

それを横目に、服部は結婚式に呼ぶことが出来なかった職員全員に祝い返しを配りはじめていた。

「おめでとう。いつ旅行に行くが?」

「すこし間をおいて、閑散期にヨーロッパの方に行こうかと。」

「いいじぃ。」

「帰っていきたら机無かったりして。」

冗談交じりに交わされる言葉に、それを耳にしながら業務をする店内の職員たちは時折笑っていた。

「土曜日はご苦労さん。」

応接室のソファに深く腰をかけ、山県は煙草に火をつけた。

「支店長もお疲れ様でした。」

次長の橘はそういって山県に続くように煙草をくわえた。佐竹は橘の横に座って二人のやり取りを聞くスタンスを取った。

金沢銀行は全店禁煙である。しかし応接室だけは違う。客をもてなすという位置づけで九谷焼の灰皿が配されていた。ヘビースモーカーである山県にとってはお堅い仕事場の唯一の心の拠り所でもあった。無論この応接室での喫煙が職員全員に許されている訳ではない。山県と一緒にこの部屋に入るときだけに許される行

為だった。金沢駅前支店独自の山県ルールである。

「あのなぁ、マルホン建設の融資稟議やが…」

「あぁ23日実行予定の1億円の手貸ですか。」

「あれは駄目や。」

「は?」

橘と佐竹は驚きのあまり言葉を失った。マルホン建設工業は今回国土建設大臣に就任した本多善幸と金沢銀行専務取締役の本多慶喜の実家でもある。善幸が大臣に就任することで、今後の公共事業に関する受注が伸びる見込みがあるとされる得意先である。

「すいません。支店長。おっしゃる意味がよくわかりませんが。」

「駄目なもんは駄目や。判子押せん。」

「ちょっと待ってください支店長。唐突すぎます。」

「何が。」

「ちょっと待ってください。支店長に稟議を出したのは2日前ですよ。まさか、まだ手元にあるんじゃないでしょうね。」

「あぁ俺の引き出しの中にあるわ。」

橘の顔は青ざめた。

「どうするんですか!!支店長!!。」

「だから、判子押せんって。」

「ふざけないでくださいよ。」

「ふざけるなって…。俺はあそこの経営改善をちゃんとさせぇって言っとらんかったか。」

「言ってはいましたけど…。」

「あのなぁ麻薬中毒の患者に麻薬打ち続けとっても、いづれ死ぬだけや。しかも綺麗な死に方じゃない。人を巻き添えにすることもある。」

マルホン建設の財務状況は芳しくない。現状は要注意先。といっても貸出条件緩和債権がある時点で要管理先である。経営改善計画書の提出はされてはいるが、その進捗度合は全くと言っていいほど芳しくない。

「支店長のお気持ちはよくわかります。ですが、専務の実家でもありますよ。」

「もう、その手の言い訳は聞かん。」

「ですが、支店長の一存でそんな勝手なことができるはずもありません。私も今から本部に行って決裁を貰ってこなければなりません。いつものことじゃないですか。」

「次長、あんた本当にこんなんでいいと思っとるんか。」

「…。何がです…。」

紫煙を吐きながら山県は落ち着いた声で言った。

「お前、公共工事がこれから伸びると思うのか。」

「…いえ、ですが無くなりはしません。」

「お前なら追加融資したいか。」

「したくはありませんが…。」

言葉に詰まった橘を見て、山県は佐竹の方を見た。

「代理、お前はどうや。」

融資の稟議を実際書いたのは佐竹だった。その校正をマルホン建設の前担当者であった橘が行い、それに判子を押した。そのため唐突な山県の決定とそれに狼狽する橘を目の当たりに見て動揺していた佐竹は、不意を打つ質問に答えるのに時間がかかった。

「…いえ。」

「そうやろうな。普通の人間なら変だと思う。それなら稟議なんか描くべきじゃないな。」

「しかし支店長。唐突すぎます。」

「債権の利子分を回収するために、さらに貸出先に融資の上積みをする。経営改善計画書を出しはしたが、その中身が全く実行されとらん。相変わらずの公共事業頼り。素人の目から見てもおかしいと思われることを、世の中の金融機関はバブル期から平気で行ってきた。自行の目先の利益確保を最優先にする現状の融資体制には問題がある。目先の損得で判断する時代は終わったんや。」

正論だ。だがこの切羽詰まった状況で唱えることではない。そう橘は山県に言った。

「あのなぁ、次長。小さな勢力が巨大な勢力に挑むときに有効な手立てって知っとるか。」

「支店長、話をそらされては困ります。一刻も早く本部に掛け合ってこの融資を実行しないと、マルホン建設は飛びます。」

「奇襲や。」

このセリフに橘と佐竹は固まった。山県は確信的な表情をしていた。

「しかし、支店長…。確かに私も今までの矛盾を抱えた銀行業務には疑問をもつ身です。ですから支店長の意見には賛成です。ですが、ことは急を要します。それにマルホン建設の債務者区分やその中身に関して金融庁から一度も指摘されたことはありませんよ。」

「たしかに役人は何にも言わなかったな。何でやろうな。不思議なもんや。」

山県は金融庁を皮肉った。

「役員は承認しているんですか。」

再び煙草の火をつけて山県は言った。

「いや、まだや。」

佐竹も橘も驚きを隠せない。要管理先の債権を支店長という身分の人間が独断で決済することは許されない。役員の承認が必ず必要である。

「支店長、首が吹っ飛びますよ。」

橘は半ば呆れた表情で山県に言った。佐竹も橘と同意見だった。

応接室がノックされ女性行員がその扉を開いた。

「支店長。融資部からお電話です。」