テレビとネット

この正月休みにネットに触れる機会は激減しました。とにかく休みたい。世の中の雑多なことから開放されたい。頭を使いたくない。そういった意識が私をネットから遠ざけたのでしょうか。そのかわりと言ってはなんですが、普段よりテレビをぼんやりと見ていた時間が多かったように思います。

 

初めはその内容がくだらなくて、TVを見ること自体にストレスを感じていましたが、そのうち慣れてしまうのです。気づけばテレビで放送されるコンテンツの大半を許容する自分があることに気づきます。一方的にこちらに情報を提供してくれることの心地よさとでも言うのでしょうか、とにかく楽ちんなんです。自分で考えながら情報をインプットしているようでそうでない。ただテレビの向こう側で言っている人の意見をそのまま咀嚼もせずに頭の中に入れているのです。

 

よく情報の出典を明らかにする局面に出くわします。とあるサイトから、とあるPDFから、ブログ、SNS、ニュースサイト、ラジオ。明らかに正月休みの私は「テレビで言ってた」とばかりしゃべっていました。

最近は放送の双方向性とかいってTwitterと連動させることで、放送と通信の融合を図るなんて試みがありますが、結局テレビはテレビ。一方的な情報になるのです。別にこれが悪いとか言っているわけではありません。むしろ今まで変に毛嫌いしていたテレビという媒体に魅力を感じました。

 

何に魅力を感じたか。そう、考えなくてもよい媒体であること。考える作業を省くことで人間はどんどん情報を吸収します。別に覚えようと思わなくても、視聴者は直感的な一定の情報インプットができます。労せずして世の中の情報を手に入れることができるのです。こんなうまいメディアなんてありません。結果、テレビに触れる時間が多いと同質化が図られるのです。

 

同質化はひとつのマーケットを作り出します。ここにコマーシャルであったり、テレビショッピング、番組紹介といった形で宣伝・販促をかけるのですね。これは格好の宣伝対象になります。何せ考えもなしで発信者の情報をどんどん吸収してくれるわけですから。この機会に宣伝をしない手はありません。

 

人間考える作業から距離を置きたい時があります。そこにテレビのようなものがあればものの見事に刷り込むことができるのわけですね。つまりそんなぽっかりと空いた空間に勝手に動画コンテンツが流れる装置があれば、発信者はしめしめです。

 

現在、自分の嗜好を勝手に推測して「これ、あなたが好きな情報じゃないですか」と提供してくれるサービスがあります。Gunosy(グノシー)というサービスを私は使っていますが、これは今のところMailで毎日20件のリンクを送ってきます。「あぁこれは一日前に読んだ」という記事もあれば、「おおっこんな記事があったのか」というものもあり、その精度はけっこうなものです。

 

このサービスの応用はできないでしょうか。私が考えることからしばらく距離を置こうとテレビをつけると、自分の嗜好にあった番組、コンテンツだけを流すテレビ。こんなものがあるとマーケティング担当者にはナイスな端末になるかもしれません。最近はテレビ離れとか言われ、その広告宣伝費が無意味なのではないかとの議論があるので媒体側としても望むひとつの形ではないでしょうか。このテレビは私の嗜好を知っています。番組と番組の間に私が好みそうな商品をPRする動画を入れても良いし、番組そのものが商品のPRでも良いでしょう。テレビをつける側もそれを望んでぼんやりとそれを見ることを望んでいます。案外テレビの行く先はこういったものになるのかもしれません。

 

年明け通常業務の開始。しばらく触っていなかったタブレット端末やらPCやらでRSSリーダーから情報を入手。後から読もうと思うものはEvernoteへクリッピング。仕事先からのMailを処理。いままで特に苦痛に感じなかったことが自分にとって途端に負担であると感じるのです。

 

やっぱりネットは自分から情報を取りに行く分、頭脳に負荷がかかるのでしょうか。今までの情報の取捨選択を頻繁に行う生活に戻るにはちょっとしんどいかもしれません。ですが私はやはり自分で情報を選別するのが性に合っていますので早く元のペースに戻れるよう、強制的にその環境に身を置きたいと思います。いやはや慣れというものはこわいもんです。