12月20日 日曜日 10時10分 北陸タクシー株式会社駐車場

ダウンロード
12月20日 日曜日 10時10分 北陸タクシー株式会社駐車場
第一章 6
五の線 第十二話.m4a.mp4
MP4動画/オーディオファイル 7.4 MB

「ふわぁ~。」

大きなあくびをすると、瞬間的に全くの無の境地を味わうことができる。

北陸タクシーのドライバーである小西規之は今しがた車庫に帰ってきたところだった。この仕事に関しては二十年のベテランであるが、やはり普通と違うバイオリズムでの仕事は、五十八を過ぎたこの体には鉛のように重い疲労感を与えてくれていた。

小西は車からゆっくりと降り、自分の腰をさすりながら事務所の方に向かった。今日のアガリを事務所に入金し、タイムカードを押して一分でも早く帰宅したい気持ちだった。そんな小西を背後から呼ぶ声が聞こえた。

「ノリさん!」

振り返ると恰幅のいい男がこちらに向かって手を振っている。身長は百七十センチぐらい。体重は見た感じで百キロ相当ありそうだ。彼のベルトはいつものように腹に隠れて見えない。冬の北陸は上着なしではかなり寒い季節であるが、彼は長袖のシャツを腕まくりして着ていた。小西の後輩の南部達夫だった。巨体を揺らしながら小西の側にやってきた。

「なんや?」

「いやぁ最近さっぱりでさぁ…。ノリさんはどう?」

近くに寄って初めて分かることもある。この寒い季節に南部は額に汗をかいていた。

「どうって…。全然だめやわいや。不景気や。」

そういうと小西は腰をさすりながら、再び事務所の方にむかってゆっくりと歩き始めた。南部も彼と肩を並べて歩いた。

「ほんとに最近は長距離ってないよね。」

「そうやなぁ…。少なくなったなぁ。」

「これって、やっぱり景気のせいなのかな?」

南部は地元の人間ではない。彼は十年前に勤務先の会社が倒産し、それがもとで離婚。行く当てもなく石川県に来た時、小西の運転するタクシーに乗車した。それが縁で現在小西と同じ職場で仕事をしている。関東出身であることは話し方で分かるが、どこの出身かは誰も知らない。それ以上のことは誰も聞かなかった。

「そうやなぁ、でも羽振りがいいところもあるしなぁ。」

「この時代に儲かってるってどこの会社?」

「いやぁ、ここはたかが知れとる。やっぱり東京のほうは違うんやろう。」

二人は事務所の事務員に現金の入ったポシェットを渡して、タイムカードを切った。時刻は十時十三分だった。

「いやな、この間のお客が言っとったんや。」

「東京の客?」

「いや、ようわからんけど、やっぱり東京が銭になるんやと。そのお客は何が金になるかは言わんかったけどな。」

南部はハンカチを取り出し、自分の額をそれで拭った。

「ふうん…。で、そのお客さんは羽振りよかったの?」

小西はそっと手のひらを南部に見せた。当然このサインは五万円を示す。

「えーっ!! どこからどこまで?」

「小松空港から金沢まで」

そう言うと小西は自分の腰をさすりながら周囲を見渡した。今気づいたのだが事務所の皆がテレビを見ている。小西もつられてそれに目をやった。見覚えのある建物の前にひとりのレポーターが立っていた。

「何やこれ。北署や。」

誰に言う訳でもなく小西はそう言った。四十歳前後の女性事務員がそれに応えた。

「ノリさん、知らんが?」

「何が?」

「昨日の深夜に熨子山で殺人事件があってんよ。」

「はぁ…?熨子山って、あの熨子山か。」

小西は事務員の横にある空いた椅子に腰をかけた。

「そうやぁ、五人も殺されたんやって。ほんで容疑者っていうのが現役の警察官らしいわ。」

「おい、ちょっと待てや。ワシ…昨日熨子山に客乗せてったぞいや。」

小西はそう言うと持っていた運転日報を事務員に見せた。

「うそ…。」

事務員は驚いた表情で小西を見た。そのやり取りを何となく聞いていた周囲の社員達が小西のそばに寄ってきた。

事務員は小西の日報を指でなぞりながら確認をする。そこには十八時十五分に小松空港で一人の客を乗せて、十九時三十五分に熨子町でその客を降ろしている事が記載されていた。

「ノリさんが乗せたんはこいつか。」

傍にいた南部がテレビの方を指差した。そこには眼鏡をかけた男が写っている。

小西はその男の顔を見るとしばらく考えた。

「よう分からんわ。なんちゅうか…ワシが乗せた客はサングラスしとったから何とも分からん。」

「でもノリさん、テレビで当日は夜の七時まで仕事しとったってさっき言っとったから、多分違うと思う。」

女性事務員がそれとなく小西を擁護する。

「いやぁ分からんぞ。ノリさん、そりゃ警察に言った方が良いんじゃねぇか。」

「そうだよ、関係なくても情報提供はした方が良いぞ。」

小西の周囲はたちまち騒然となった。

「なんや…えらいとばっちりやな…。」

遠くの方でこちらのやり取りを見ていた部長が小西を手招きしている。小西は別に自分では何の悪い事もしていないのだが、すごすごと身をすくめてそちらの方に移動した。

「ノリさん。明日は休めや。」

「部長、どういうことですか。」

「俺から社長に言っとくから、さっきの事ちゃんと警察に言えや。」

「でも部長…。」

「心配すんな。ちゃんと有給にしとくから。」

部長はそう言うと声を小さくして付け加えた。

「今晩はその客から貰ったチップで飲んで、明日は警察に行ってこい。」

部長は先ほどの南部とのやり取りをしっかりと見ていたようだ。

「すんません。じゃあ明日はよろしくお願いします。」