12月20日 日曜日 10時10分 佐竹宅

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12月20日 日曜日 10時10分 佐竹宅
第一章 5
五の線 第十一話.m4a.mp4
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―どれもこれも景気の悪い話ばかりだな。

広げた新聞には世の中に対する悲観論が充満していた。今度の内閣人事に関する分析と課題についてばっさりと斬り捨てられた政治面、次に景気後退に伴う消費の低迷はますます深刻さを極めつつある経済面。そして所得や雇用の格差に関する社説。親が子供を殺したという殺人事件が大きな枠を占領している社会面。こうすれば事態は好転するのではないかという建設的な論調ではなく、どれもこれも極めて抽象的な批判記事ばかりが目につく。

―こんな新聞毎日読んでいたら頭が変になる。

そう思って佐竹は新聞をしまい、テレビに目をやった。チャンネルは先ほどと変わらない。

テレビではアイススケートの大会で優勝した選手のそれまでの軌跡やプライベートの様子を解説つきで伝えていた。しかし突然画面が切り替わってメインキャスターが映し出された。

「えー先ほどの金沢で起こった殺人事件について、新しい情報が入ったようなので現場から中継でお伝えします。」

画面が切り替わり、馴染みのある金沢北署の建物の前に先ほど中継で出演していた記者がマイクとノートを持ってこちらに向かって立っていた。北署内の会見場から走ってきたのか、口から白い吐息を荒く出している。画面が切り替わった当初は音声の不具合で無音だったため、言葉の先頭部分が聞き取れなかったがそれはすぐに改善された。

「…が入りましたのでお伝えします。先ほど開かれた警察の記者会見で容疑者が明らかにされました。」

レポーターが興奮した様子でそう言うと即座に一枚の顔写真がテレビの前に映された。

写真の彼はその眼鏡の中の瞳で、佐竹をじっと見つめている。

「一色貴紀容疑者。36歳。職業は現職の石川県警察本部刑事部長です。」

その言葉を聞いて佐竹は一気に血の気が引いた。

「な…。」

言葉が出なかった。画面から伝わってくる鉛のような重量級のエネルギーが彼を包み込む。体が動かない。金縛りとはこういう状態を指すだろうか。

テレビの向こう側の現場の記者とスタジオのメインキャスターは佐竹を無視して質疑応答を繰り返している。

佐竹は近くにある棚の上の写真にゆっくりと目をやった。

その写真には自分を含めた高校時代の剣道部のレギュラー五人が写っている。五人の真ん中に蹲踞の状態でこちらをまっすぐ見つめる男がいた。

「そんな…馬鹿な…。」

剣道防具の垂には一色の名前が刻まれていた。

佐竹は再びテレビを見た。テレビでは容疑者は拳銃を携行している恐れがあるという事で注意を促していた。そして時々容疑者の顔写真がインサートされる。

突然携帯が震えた。佐竹はそれを手に取った。村上からだった。

「もしもし。」

「おう、俺だ。テ、テレビ見ているか。」

村上と話すのは三週間ぶりだ。声色から彼も動揺しているように感じ取れた。

「これって…一色だよな。」

「あ、あぁ。」

もう一度画面に映っている写真と自分の部屋に飾ってある写真を見比べてみる。

「間違いねぇだろ…。」

二人の間にしばしの沈黙が流れた。テレビが事件の事をひととおり伝え、別の話題に移った時、村上が口を開いた。

「どうする…。」

「どうするって…どうしようもねぇよ…。」

自分以上に村上は動揺している。そう思った佐竹はテレビを切り立ち上がってブラインドの隙間から外を覗いた。雨が降ってきていた。

「村上さぁ、お前あいつと連絡とってんのか。」

数秒前と違ってやけに冷静な自分になっている事に佐竹は気づいた。

「いや…とっていない。何だ。」

「いやな、俺、今テレビであいつが警察官やっていたってはじめて知ったよ。」

「あぁ…俺も。」

「金沢にいるってこともはじめて知った。」

「まあ、そうだ。」

「だからその程度の付き合いの男なんだよ。」

「何だお前、その冷めた言い方は。」

先ほどまで動揺していた村上の言葉に多少の怒気が含まれていた。佐竹はそれを無視した。

「なあ、今はそんな事で動揺している場合じゃねぇだろ。」

「どういうことだ。」

「お前もなんだかんだって忙しいんだ。昔つき合っていた友人の心配なんかするよりも自分のことを考えろよ。昔は昔、今は今だ。」

携帯の向こうで村上を呼ぶ女性の声が聞こえた。

「佐竹、俺はお前みたいに昔の友人をばっさり斬り捨てる事はできん。確かに俺はあいつと連絡はとっていない。だけど絆ってもんはあると思ってるからな。」

「それでどうするんだ。」

「わからん。これから考える。」

「相変わらず熱い男だな。」

佐竹は呆れた。

「お前がそんなに薄情な男だとは俺は思ってなかったよ。仕事が入った。また連絡する。」

通話を終了し、佐竹は深いため息をついた。そして高校時代の写真を手にとりそれを見つめた。自分は今まで困難や悩みに直面した時、よくこの写真を見てきた。血のにじむような練習を積み重ねた。部員間でいろいろな軋轢もあった。しかし結果として全くの無名だった高校が県大会で準優勝する事ができた。目標を持って必死になって何かに打ち込めば必ず結果は伴う。そのことをこの時はじめて体を持って知った。高校時代は佐竹の価値観に大きな影響を与えた時代だった。

しかし、そのかけがえの無い時代を部長として牽引していた男が、重大事件の被疑者として現在捜査の対象となっている。

―何かの間違いかもしれない。

どうしても受け入れがたい。本当にあれは一色なのだろうか。だが高校時代の面影がしっかりと残っている写真に写った彼の表情から考えると同一人物と考えるのが妥当だ。

佐竹は自分の気持ちの整理ができないでいた。村上には突き放した発言をしたが、それは自分の混乱ぶりが表面に出ただけのこと。さっきの発言のように振る舞うことが自分にとってできる唯一の事だともわかっている。一色とは高校卒業時から一切連絡も取っていないし、その方法も持ち合わせていない。そんな疎遠な関係である人間のことを親身になって考える事ができない。村上は絆と言った。絆をもってそこまで一色の事を考える事ができる村上が羨ましくもあった。

―赤松や鍋島はこの事をどう思っているのだろうか。

佐竹は自分と村上そして一色と共に写っている残り二人の事を考えた。

振り返ってみれば、あれだけ皆で打ち込んできたにも関わらず、高校時代の剣道部の同窓会のような催しは一度も開いていなかった。部長の一色の音頭がなかったからという訳でもなく、何となく燃え尽きた感から自然とお互いが疎遠になっていったためだ。佐竹は村上とは偶然クラスが同じだったせいか、部活を引退後も交流を深めていたが他の三人とは学校ですれ違う時に軽く挨拶する程度だった。そんな中でたまにはみんなで集まるという発想も生まれてこず、何となくお互いがぎくしゃくした感じを持ち、そのまま疎遠となっていった。それから赤松とは今から三年程前に偶然、香林坊でばったり会った事がある。そのときに何となく近況等を少し話して連絡先を交換したが、それ以降どちらからも連絡を取っていない。

―赤松の家は花屋だったな。

自分の得意先にも花屋がいるので、朝早くから夜遅くまで働くその意外なまでの重労働について佐竹はわかっていた。クリスマスも近くなりポインセチアのような季節ものの花やプレゼント用の花の販売で忙しくなるのはさることながら、葬儀やブライダルを抱えている花屋の多忙さも佐竹も知っている。そういった事情を知っているだけに佐竹は連絡するのに躊躇した。

―行ってみるか。

どうせ自分は何も用事がない。全くの休みだ。あれやこれとつまらない事を考えているくらいならば、外の空気を吸いに出てみるのも良い。そうすれば少しは気持ちの整理もつくだろう。それに現在の赤松もどんな仕事をしているか知りたくなってきた。

佐竹はタンスの中からグレーのニットと白いシャツを取り出した。冬の寒さで若干の湿気を帯びたシャツはそれを着た佐竹の肌に冷たい刺激を与えた。冬の着替えは生地の冷たさに対していちいち身構えなければならないので、大変おっくうである。

佐竹は着替えると残っていたコーヒーを飲み干し、車の鍵をもって部屋を後にした。