終戦記念日

戦争と平和。

 

8月15日の終戦記念日。この日にこのことを考えるのは非常に良いことであろうと思う。戦争というものは人間が行う最も愚かな行為であることは事実であり、その結果として多くの尊い人命が失われる悲惨な行為だ。

 

各種メディアは戦争の悲惨さばかりをクローズアップして報道する傾向がある。戦争が悲惨であるということはあたり前のことであり、人類の有史上どの戦争を紐解いてもそれは揺るぎない事実である。誰もが知っている戦争の悲惨さばかりを報道するのは如何なものか。悲惨ささえ直視できれば平和は訪れるのか。

 

視点を変えてみよう。原爆にしろ沖縄戦にしろ何が大事なことかといえば、それは非戦闘員が無慈悲にも殺されてしまったということ。

 

特に広島・長崎の原爆投下に関してはウラン型とプルトニウム型という二種類の原子爆弾をアメリカは我が国に投下した。戦闘地域ならばいざしらず、民間人が生活を営んでいる地域に落とされる理由はない。結果として非戦闘員である無辜の民が虐殺されることとなった。2つの地域に性質が異なる原子爆弾を投下したという事実は実験の目的もあったであろうと思える。

 

原爆が投下された日によく言われるのが「日本はこのような過ちを二度と繰り返してはいけない」という言葉。私はこれに違和感を覚える。

 

原爆は日本の過ちによって投下されたものではない。投下したのは当時の敵国アメリカ。このアメリカに大して「なんと馬鹿なことをやってくれたもんだ」と言うのは筋が通る。しかし不思議な事に我が国は原爆投下は我が国に責任があると言わんばかりの論調だ。

 

当時の軍部首脳の無能さはわたしも認めるところである。しかし原爆投下と首脳陣の無能さはまた別の問題だ。変なところで自虐的な史観を持ちだしてはいけない。歴史とは多面的なものであり、決して単純化して語るべきものであってはならない。

 

様々な角度からこの愚行を考えねば、人類の今後の糧となり得ない。

 

折しも隣国が我が国固有の領土である竹島には侵略をし、尖閣諸島に関しては不法占拠を試みようとしている。8月15日は先人たちが命を懸けて国土を守った結果、その悲惨な戦争が終結した日。そのことをしっかりと受け止めねば、問題の解決の緒は見出すことはできないだろう。

 

昔はこの時期にはNHKも民放も戦争に関する番組が多かった。しかし最近はそれが顕著に減少しているのを肌で感じ、歴史を直視しない層が増えることに対する危惧を感じている。